ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

病み上がりでスリッピ号

根室ではすっかり風邪をひいて帰宅すると熱を出してしまい、翌日は家でじっとしていたようです。しかし翌々日にはまたまた小樽築港へ行っておりました。 かつては北口と連絡していた跨線橋でしたが、いつの間にか塞がれていました。北口へはここからホームへ…

ガスの海

根室を出て厚岸に向かいました。海を入れて撮影しようと考えた次第。 11:38 267Dと列車交換 ノサップ2号より 思いっきり傾いてますが、水平を直すとはみ出す部分が結構あるので止めときました。 厚岸駅で下車すると線路に沿う道をせっせと歩いて海辺へと急…

根室へ

小樽築港機関区から帰宅すると、夜には「まりも」に乗車し、更に釧路からは根室を目指しました。初めての根室。ちょっと東根室駅を見たくなっただけです。 急行「ノサップ1号」で根室に到着。 最東端の街は根室ということですが、これは北海道での話であって…

小樽築港機関区一般公開

だいぶ前の記事とだぶりますが、1984年開催の小樽博覧会に合わせて、小樽築港駅の構内に臨時駅「小樽築港(会場前)」が開設されました。札幌からのアクセス列車として、キハ80系や14系客車を使った臨時列車「スリッピ号」が設定されました。快速列車として…

1984年夏休みの帰省

この年の夏の帰省では、普段とは違う経路で青森へ向かいました。 まずは大宮発7時ちょうどの「やまびこ11号」に乗車し終点の盛岡へ。 盛岡駅在来線のホームで、暑い中にもかかわらず、熱いそばを食する乗客たち。見ているだけで、こっちも益々暑くなってきま…

浜松機関区一般公開(その2)

引き続き撮影を続けます。時間がないのでそれなりに焦っていたのでしょう。車両の細部などは全く撮っておりません。 EF63 14、EF65 1040、EF58 91 壮観な眺めです。EF63なんて、よくぞ持ってきたものです。 EF15 168、ED60 1、ED62 1、DD16 1 国鉄長野工場製…

浜松機関区一般公開(その1)

鉄道ファンにとっての聖地といえば、機関区は外せない存在かと思います。国鉄時代、管理局や機関区の方針はそれぞれあったようですが、今ほどは立入は厳しくありませんでした。勿論、無断で構内に立ち入るのはNGですが、事務所にお願いすれば、何とか見学さ…

細かく駅を降りて

大分5:32発の門司港行きに乗車します。列車番号は532M。出来過ぎじゃん。乗車して30分、「日出」という駅名が気になったので下車しました。「ひので」かと思ったら「ひじ」と読むのだそうです。 6:27 大神(おおが)→日出 彗星 暗いので流し撮りでお茶を濁…

ブルートレインを撮りたい

そもそも、この九州旅行の目的はブルートレインを撮影することでした。学生時代の5年前に来た時には、「SLやまぐち号」を撮影する合間の時間潰しと夜行列車で夜を過ごすために九州内を移動したに過ぎず、九州での撮影といえば国鉄よりも路面電車の方に一所懸…

西鹿児島へ

肥前大浦での撮影を終え、宿泊先の西鹿児島へ向かいました。 12:37 肥前大浦駅 かもめ7号 12:46 340M これに乗って、まず鳥栖まで出ました。何か見たことあるような編成番号。他にも鉄ちゃんの姿が。 13:16 肥前鹿島駅 かもめ9号(340Mより) よちよち歩…

肥前大浦~多良

肥前大浦駅を出て、どこどう歩いたのか既に記憶にありませんが、途中からは線路端を歩いていったのは間違いありません。当時は黙認される時代でしたし・・・。 8:59 多良←肥前大浦 334M 両端とも食パン。通常だと最後尾はクハ715-0なのですが、全部で12編成…

もうひとつの「肥前大浦へ」~鳥栖駅で

うっかりしてました。別のカメラでも、肥前大浦到着までの間に撮影しておりました。ただしこちらのカメラに入っていたフィルムは発売間もない頃の超高感度フィルム「フジクローム1600D」。名前の通り、感度はASA1600。最初は、これで暗い状況でもバッチリだ…

肥前大浦へ

海との絡みを撮ろうと、長崎本線の肥前大浦へ向かいました。その前の日の晩は、空腹のままホテルであまり眠れない夜を過ごし、それでも4時に起床、ぼ~っとした状態で博多駅から5:05発の121M川尻行きの電車に乗車しました。車両はクモハ475-23とメモにあり…

赤間へ移動して

瀬高から「有明18号」に乗り博多へ戻りました。それから普通列車で赤間へ。16:56に到着し、駅から東郷方面に少し歩いたところにある踏切付近に三脚をセットしました。すでに夕方の5時を回っていますから、明るい時間はそう長くはありません。 17:19 赤間←…

瀬高(せたか)にて

7月に連休を組んで、一足早い夏休みとし、九州旅行を企てました。夏の九州なんて、その暑さを学生時代に十分に経験していたのに、何だか急に行きたくなったようです。 19:10「あさかぜ1号」で横浜を出発し、終点の博多到着は翌日の11:32。12:05に「有明11…

清水港線の廃線跡

静岡の安部川で花火大会があるからおいでよ、という前の職場の同僚からの誘を受けて、初めて安部川の花火大会を見に行ってきました。清水在住には一度も行ったことがなかったのに。まあ、その話はどうでもいいのですが、そのついでに、清水港線の廃線跡をち…

最低な俯瞰撮影

人とは違う写真を撮りたいという思いから、俯瞰撮影にシフトするようになったのはいつの頃だったか。 この時も、ニセコの発電所からの帰り道、ちょうどいい感じで俯瞰できる場所が眼に入ったので上ってみました。 14:22 ニセコ←比羅夫 列車はどこだ?と思っ…

ニセコへ

GWの帰省では、あまり撮影はしませんでした。唯一行ったのがニセコでした。その何年か前に、羊蹄山バックで走行するDD51重連牽引の急行「ニセコ」の写真を何かで見て、是非行ってみたいと思っていたからです。しかし当日は生憎の曇り空、期待した羊蹄山はす…

清水港線廃止まで一週間(その5)4往復目最後

いよいよ残り1往復となりました。私が撮影できる最後の清水港線の列車です。富士山が見えたので、やはりここは巴川口の橋梁へ行かねばという気分になりました。 15:10 清水埠頭→巴川口 混9627列車 富士山がうっすらと・・・残念・・・ 巴川口駅 ホームには…

清水港線廃止まで一週間(その4)3往復目

どうやらお昼は会社の同僚と一緒に取ったようです。その辺りのことは記憶にありませんが、その間に天気は回復し、富士山が姿を現し出したので、富士山バックのポイントへと向かいました。 13:30 巴川口→折戸 混9625列車 何年か前にも撮影した場所です。勤め…

清水港線廃止まで一週間(その3)2往復目

2往復目は性懲りもなく巴川に行きました。案の定、カメラを構えた人が沢山おりました。 10:12 清水埠頭→巴川口 混9623列車 確か、青空と雲を強調しようとPLフィルターを使った気がします。でも、光の方向が違うので(太陽を背にして撮らなければ意味ない)…

清水港線廃止まで一週間(その2)1往復目

前の晩にベロンベロンに酔っぱらってしまったのにも関わらず、ちゃんと朝7時に起床して45分後に寮を出ました。若さってすごいですね。しかし天気はあまりよろしくありません。手近な所で折戸駅へ向かいました。 折戸駅には警備員さんがいらっしゃったのでち…

清水港線廃止まで一週間(その1)

3月31日をもって廃止される清水港線を惜しみ、その前の週に最後の訪問をしました。最終日は人が集まり過ぎて行く気にはなれなかったのと、その日は学生時代の友人と会う約束をしていたから。 静岡駅 1984年2月に、都市圏における列車の短編成・高頻度化(フ…

多度津駅前の58685

多度津機関区での撮影を終えて、多度津駅に戻り、駅前に静態保存されている58685を撮影しました。生きている機関車と比べると、単なる置物のようにしか見えないので、あまり食指は動きませんが、全く縁のなかった機関車なので物珍しさで撮ったような気がしま…

多度津機関区にて

四国旅行の最終日に多度津機関区を訪れました。初日(17日)に「南風1号」の窓からDF50の廃車体が何両も見えたので、これは行かねばと思っていたものです。因みに「南風1号」の編成は次の通りでした。 (中村←)キハ181-33(乗車)+キハ180-68+キハ180-61…

早朝の松山駅

今日は昨日の夏祭りのお手伝いで体が結構しんどいので(特に腰がやばそう)、ちょこっとで勘弁して下さい。 松山駅のホームでの一コマ。って、一コマじゃないじゃん。 「いよ6号」で多度津へ向かいました。多度津では機関区で廃車体のDF50を撮りたかったから…

松山駅前で

高松から特急「しおかぜ5号」に乗車して松山へ向かいました。この日の宿は松山です。生憎の天気で列車の走行シーンは全く撮ることなく過ごしてしまいましたが、せめて松山では路面電車でも撮っておこうと考えました。 どこの駅弁だったか。お昼を少々回って…

雪の日に

川奥信号場、土佐久礼で撮影したその日の晩は、高知に宿を取りました。が、宿泊した記憶は全くありません。ただ、高知駅前で路面電車が走っている姿を見ながら、「あ~疲れた」とか思いながらカメラを向けることもせず、ただただ歩いていたことだけは薄らぼ…

土佐久礼で

前日の讃岐相生では、海バックのシーンがイマイチだったこともあって、この日も海バックに挑戦すべく、土佐久礼に参りました。 川奥信号場から荷稲駅へ出て、そこからキハ65に乗車、土佐久礼に到着したのは15:04。前日同様、もう夕方近い時間帯。 当時使用…

川奥信号場

当時はそんな信号場の名前など知らぬまま、ループ線だからという理由で訪れました。 前夜、食事をしようと夜の高松駅付近を歩いていたら美人局のオバサンに声を掛けられて、「これから夜行列車に乗るんで」とか言いながら逃げるように駅に戻った記憶が蘇りま…