ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

桑園駅の近くで

C62三重連の急行「ニセコ」を撮影しに、小沢へ向かう列車の窓から。 以前にも車窓から目にしていた気になる車両で、この日は撮影すべくカメラを構えておりました。 ピンクの客車か気動車か。C56のテンダーみたいなものとカトー君らしきものも置いてあります…

貨物列車 新琴似駅発車

小・中学校の通学路、通称新琴似4番通りは、札沼線 新琴似駅のすぐ南側を東西に若干右下がりで走っております。新琴似通りには1番通りから6番通りまであり、この4番通りが一番交通量が多く、また道幅も一番広く、それは今現在でも変わりません。いや、今は1…

雪の東戸塚

冬になると雪が降るのは札幌では当たり前。でも清水市では真冬に氷が張るだけでも大騒ぎ。して横浜はというと、年に2、3回は雪が降るといった感じ。 たまたまだったか、雪が降ったからだったかは忘れてしまいましたが、雪積もる東戸塚で撮影したねん。 以下…

黄色い蒸気機関車

いつだかは、追分機関区で焼失したDD51の写真をアップさせていただきましたが、今回はSLです。 D51 465 D51 603 上2枚 D51 241 DD51 +D51 241+D51 603+D51 465 D51 1086 上2枚 79602 火災から5か月後の姿ですが、燃えて錆びてこんな色になってしまうとは。 …

初めて間近に見たD61は解体寸前

蒸機現役時代、留萌本線には1度だけ行きました。ついでに立ち寄ったため時間の関係で遠方までは行けず、秩父別の陸橋で貨物列車を待ち構えるのが精一杯。そこで捉えた貨物列車の最後尾にあったのが予期せぬD61でした。んが、煙でナンバーもろくに見えない始…

只見川第一橋梁

只見川第一橋梁なのか、第一只見川橋梁なのか、一体正式名はどちらなのでしょう。まあどちらでもいいんですけど。 只見線には国鉄末期に初めて訪れました。磐越西線のついででしたが。 その最初の撮影場所が第一橋梁で、その時には地図を頼りに撮影場所を探…

札沼線の蒸気機関車

一気に蒸気機関車現役時代にワープです。下手です。だってまだ少年だったんだもん。 昭和47(1972)年3月25日 新琴似駅。左に見えるのはドリゾール工場です。今はマンションが建っております。写真はぶれております。 昭和47(1972)年4月9日 苗穂機関区。札…

PQ輪軸試験列車

今日は思いっきり手抜きし、ビデオ映像からの静止画でお茶を濁します。 2年前に、江差線で起きた脱線事故の原因究明のために、PQ輪軸試験列車が運転されました。試験の具体的内容については分かりませんが、特別な編成が組成されて五稜郭と木古内の間を走り…

四国

四国には一度しか行ったことがありません。何を考えて、何を目的に行ったのかはすっかり忘れてしまいましたが、足掛け5日間でぐるっと撮影してきました。 撮影のため最初に降り立ったのは小歩危駅で、そこから国道を歩いて撮影場所を求めましたが、思うよう…

雪まみれの石狩当別駅

真夏を迎える頃になると冬が恋しくなる、寒かった記憶を呼び起こして涼しさに浸かりたい、そういう人がいるかどうかよく分かりませんが、スキャンは順調に進んでおり、札沼線でキハ53が最後の活躍をしていた頃までやってきましたので、その当時の写真をどう…

485系電車

何でも昨日・おとといの二日間、JR東日本では国鉄特急色485系電車のさよなら列車を走らせたそうな。今日は考えるのが面倒くさい気分なので、その話題に便乗しちゃいましょう。手抜き御免。 昭和57(1982)年7月10日 上野駅 昭和59(1984)年7月26日 博多駅 …

富士山バック

清水市に住んでいた頃の写真に戻ります。 清水市では富士山が適度な大きさで見ることができます。列車と絡めて撮影するのに、清水駅南側のカーブがお手軽な場所で、ちょくちょく撮影に行ったものです。かつて路面電車が走っていた陸橋の下あたりになります。…

出張帰りの品川駅にて

少々食傷気味になってきたので、時代を若干飛び越えてJRになってからの写真を今日はアップします。 横浜から東京へちょくちょく出張していた頃、カバンの中にはいつもコンパクトカメラを忍ばせておりました。いつでも不測の事態を記録しようという思いからの…

乗り換えの米沢駅で

板谷峠に行くことにしました。前夜23時55分発の「ざおう57号」で上野駅を発ち、米沢に到着したのが定時5時29分。 乗車したのは10号車のオハ12 368。上野発車時や黒磯から交代した牽引機関車はメモしていないので分かりませんが、福島からはED78でした。 しか…

避難撮影

先の熊本大地震ではまだ避難されている方も多く、大変なご苦労をされていることと思います。 社会人になった昭和56(1981)年頃は、「ニュートン」の竹内先生が「いつ東海大地震が起きてもおかしくない」というようなことを警告されていたので、新入社員とし…

札沼線に乗って

誰が命名したのかは知りませんが、「学園都市線」などと呼ばれている札沼線。全国時刻表、道内時刻表ともに「札沼線」と表記した上で「愛称名 学園都市線」と付け加えてありますが、JR北海道のウェブページには学園都市線の表記しかありません。バカでしょう…

高架化工事中の札幌駅周辺

札幌駅が地上駅だった頃は、駅周辺はのんびりとした一地方駅感たっぷりだったような気がします。Wikiによりますと、高架化工事は昭和53(1978)年より始まったとありますが、実際に高架橋が林立するようになり、周辺の道路工事も本格化するのは5年後以降だっ…

駅前俯瞰

もう一か月以上、写真とビデオをパソコンに取り込む作業を続けており、睡眠時間は5~5時間半の日々です。もう眠たい眠たい。ビデオでは30分おきにテープを交換し、写真では5分おきにコマを移動します。悠長に昼寝なんてしている暇はありません。お蔭で眠気覚…

フィルムスキャナの威力

以前はまともなフィルムスキャナはとても高価でしたからとても買う余裕などなく、やむなくフラットベッドのスキャナでフィルムをスキャンしてファイル化しておりました。しかし、 1.暗部がつぶれがちになる 2.ガラス台の汚れや埃を拾わないようにスキャ…

福知山駅

相変わらず昔の写真でノスタルジ~な気分にどっぷり浸かる日々を過ごしております。フィルムスキャンは順調に進み、これまでに3000枚ほどファイル化しました。その中からの(当時はつまんね~と思ってうっちゃっていた)写真を毎日ちょっとずつアップして、…

湘南顔

何事にも流行というものがありまして、鉄道界とて例外ではございません。戦前には「流線形」というスタイルが一世を風靡し、蒸機ではC53とC55の一部がそのエジキとなり、力学的効果がほぼ皆無なスタイルにされて検修現場から「やりにくくてしょーがねー」と…

5年ぶりの札幌駅西側

5年ぶり、と言っても今からの事ではありません。下に掲載の写真の時代からの話。 つまりこの場所で なんかを撮影したのが5年ぶりということで、それは社会人になってここで5年ぶりに撮影したということ。 え~い、回りくどい。 札幌市内では有名な、伊藤邸の…

東京駅での機回し

昭和60(1985)年3月から、東京口のブルートレインの多くがEF66で牽引されることになりました。これには多くのファンが大喜びしたことでしょう、多分。私もEF66の抜群なスタイルに惚れつつ、この機関車がブルトレを牽いてくれたらどんなにか素敵なことだろう…

函館駅 国鉄最後の夏休みに

これまでの流れから外れて、ちょいと時間を飛ばしてしまいましょう。昭和61(1986)年の夏休みに帰省した時の写真です。青函連絡船で函館に到着し、「北斗」に乗り換えるまでの時間に撮影したものです。 マニ50 2156 50系の荷物車です。従来の旧型客車一族で…

熱海駅

どうしてその気になったのかは、今となっては記憶の片鱗すら残っていませんが、熱海駅周辺で撮影しています。10月のダイヤ改正で特急「踊り子」が誕生したばかりでした。 スカ色と湘南色の混合編成です。この頃は他の路線でも、異なる塗色の車両が入り混じる…

初めての根府川

東海道本線 根府川駅。この駅のすぐ南側に架かる白糸川橋梁は、名にし負う有名撮影地でありました。上路トラスなので、足回りまでばっちりすっきり見ることができました。楽して駅のホームからでもよし、ミカン畑の中の道路から俯瞰でもよし、下の方から見上…

道内時刻表 昭和36年4・5月号(その5)

以上で終了です。55年前の国鉄北海道は、まさに隔世の感で満ち溢れています。 キハ58系の先陣を切ってキハ27、キハ56、キロ26が道内で運転を開始し、いけいけムードで活気づいていたことでしょう。そしてこの年の10月ダイヤ改正で、北海道初の特別急行列車「…

道内時刻表 昭和36年4・5月号(その4)

道内時刻表 昭和36年4・5月号(その3)

駅の表情

小さい駅には小さい駅の、大きい駅には大きい駅の、中間くらいの駅には中間くらいの駅の、それぞれ「表情」というものがありますね。列車に乗らなくても、駅でぼ~っとするのも悪くないです。旅気分を味わえます。でも貧乏性な私は、ただぼ~っとするのも勿…