ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

2016-01-01から1年間の記事一覧

本日のスキャン 千歳高架前

昭和54(1979)年3月4日 千歳→美々 210D 急行「ちとせ10号」 列車の向かって右側では高架化工事が行われています。列車が走っているところに、今は線路はありません。また、左を走る道路は国道36号線で、カーブの途中には線路が残っていました。自衛隊への専…

新琴似駅での入換

これまでに幾度となくアップしてきた札沼線の貨物列車。まあそのほとんどは新琴似駅周辺で撮影したものですが、今回もズバリ新琴似駅です。 上り貨物列車で、タンク車を編成に組み込む様子をキチンと記録していなかったということで、その辺りをしっかりと撮…

冬休み最後の日

短い冬休み最後の日の記憶は全くないのですが、メモによれば「鉄道友の会」に入会したことになっています。1年で脱会してますけど。 きっとその帰りなんでしょう、夜の市電にカメラを向けています。 まずは「西四丁目」電停付近で。 「すすきの」に移動して…

本日のスキャン 犬のお昼寝

昭和54(1979)年3月4日 千歳駅 待合室でお昼寝中。首輪ありません。天下泰平を享受できた、よき昭和の時代。この頃、札幌駅のホームでは、わんこが散歩しているのを見かけました。 この時の千歳駅構内。DD51は入換を終えたところ。遠くまで見通せます。

追分で

沼ノ端で蒸機時代の余韻に浸った後は、225列車に乗って追分に向かいました。 225列車 旧客デッキのこの開放感、半端ね~。光漏れあり。 追分に到着するとホームから見えたのでしょうか、駅裏でこんなん撮りました。タンク車は無視して撮影していません。遺憾…

久々の沼ノ端

蒸機全廃後、すっかりご無沙汰していた沼ノ端で久々の撮影です。あの頃に、この機材を持っていたらなあ。ついでにもっといい腕前を持っていたらなあ。欲を言えばきりがありません。 沼ノ端←遠浅 222列車 DD51 1156 左から下り千歳線、下り室蘭本線、上り室蘭…

本日のスキャン 白石駅1番線

昭和54(1979)年3月4日 白石駅 DD51 650 今は使われていない白石駅の1番線を、東札幌駅からの単機が通過し、札幌貨物ターミナル駅へ向かいます。 東札幌駅が廃止になり、線路も白石駅西側から先は撤去され、このホームも一旦は閉鎖されましたが、カートレイ…

国鉄初撮りは札沼線の貨物

昭和53年の国鉄初撮りは手近なところで札沼線の貨物列車です。もうあと何回運転されるでしょう。3番通りと4番通りの中間でカメラを構えます。今ならタイフォン鳴らされまくりな場所でしょうね。暗かったので感度はASA800に増感しての撮影です。 桑園→新琴似 …

新年早々に

結構いい感じの雪で迎えた元旦。年末にササラ電車を撮りそこなったこともあって、初撮りはササラ電車と洒落こみました。できれば正月らしい雰囲気も狙えれば。 ということで、またまた「西四丁目」の電停にやってきました。 到着すると、いきなり妙な光景が…

本日のスキャン 雪の札沼線下り貨物列車

昭和54(1979)年1月31日 新琴似駅 8691列車 DD13 611 二つ前の記事で撮れなかった貨物列車を1年以上経ってから撮影しました。タンク車の入換はありませんでした。

ハイモの後

ハイモだけれどもラッセル撮影で気を良くし、市電を撮りに西四丁目電停へ。ササラ電車狙いです。到着した時にはハラハラ降っていましたが、ササラ電車が走るほどには降らなかったようです。 ササラ電車は来そうにもないので帰ることにします。 札幌駅 627D …

ハイモ

早起きして外を見ると吹雪。絶好の写真日和!と息巻いて家を出ます。午前5時過ぎで、外はまだ真っ暗。10cmほどの雪をこいで新琴似駅へ向かいます。下りの貨物列車を撮るんです。 いつもの新琴似4番通りの踏切にやってきて待つことしばし。定刻、来ない。10分…

本日のスキャン お見送り

昭和54(1979)年1月4日 北広島駅 725D 地元の人には懐かしいかもしれない、以前の北広島駅です。 女性がホームの誰かに向かって手を振っています。列車が到着して、見送られた人の姿は隠れてしまったでしょうに。大きな駅ならホームで見送るということもあ…

8692列車

8692列車とは、このブログにたびたび登場する札沼線の貨物列車であります。 新琴似駅で着発と入換の様子を撮影しました。吹雪気味の天気で暗く、手持ち撮影なのでブレるのをおそれ、増感してASA1600で撮影しています。森山大道か。そんなおこがましい。 15時…

夕刻の桑園周辺

久々に札幌から桑園へと、線路沿いの道路を歩きながら撮影しました。 札幌←桑園 628D(新十津川から) 今は鉄道が高架化されて、線路の下を潜っていた石山通りは平地の高さに戻されています。これを撮影した歩道橋はまだ残っていますが、周囲の樹木は驚くほ…

本日のスキャン 敬礼

札幌駅 1007M 特急「いしかり7号」 写真としてはありきたりなものだけれども、キリッと敬礼で挨拶を交わす駅員さんと車掌さんの姿は素敵です。矜持が感じられます。 元日なのでホームには人影があまりありません。 昭和54(1979)年1月1日

地味に

近所の札沼線へぶらりと撮影に出ることは珍しくなく、この日も地味に1列車だけ撮影に行ってきました。 篠路→新琴似 628D 新琴似駅 何気なく足元のレールを見ると、何やら刻印が目に入りました。 「工 O H LACKAWANNA 600 11 1921」と刻印されています。 アメ…

再び釜谷臼へ

天気が良いので釜谷臼へGO! 新琴似駅から乗車します。 新琴似駅 627D(新十津川行き) 登場したてのキハ40はまだキレイです。 この当時、新十津川までの列車は、朝1往復、お昼に2往復、夕方から夜にかけて2往復の、合計5往復もありました。 釜谷臼駅 この時…

本日のスキャン 富良野駅午前2時半

士幌線の糠平~十勝三股間が営業休止になると新聞で知り、衝動的に「からまつ」に乗車し、帯広へ向かいました。途中、富良野駅では上下の「からまつ」が行き違いしました。 424列車 下り「からまつ」DD51 637、423列車 上り「からまつ」DD51 581 漏れる蒸気…

草地が広がっていた頃の厚別へ

この頃は特定の列車を狙うことよりも、普段の定期列車を片っ端から撮影することの方が多かったでしょうか。ですから、本数を稼げる札幌近郊での撮影がメインでした。この時は厚別に行ってますが、いつも西側の千歳線築堤ばかりだったので、たまには東側へと…

午後の札幌駅ホーム

札幌駅のお昼を回った頃、何とな~くほわんとした雰囲気が漂います。 西側は地下道で、東側は跨線橋でホームを行き来していました。 0番線が東端にある関係で、0番線、1番線だけは東側にも階段がありました。 森からの41列車が到着です。 機関車が切り離され…

本日のスキャン いつもの撮影場所

札幌駅東側、石狩街道下の線路沿いの道路は、いきつけの撮影場所でした。その場所を石狩街道から見下ろしたのが下の写真です。 北回536D 1006M 特急「いしかり6号」 向こう側が苗穂駅です。線路沿いの少し細目の道は交通量もあまりなく、柵も膝くらいまでし…

銭函で海沿いを歩く

札幌運転区の後は、どういう経緯でそういうことになったのかさっぱり覚えていないのだけれども、銭函に行ってます。線路に沿って、護岸に沿って、海岸に沿って、1時間ほど歩いたでしょうか。 銭函←張碓 11D 特急「北海」 この辺りは夏になると海水浴客で賑や…

いざ、手稲へ

早起きした記憶は残っていませんが、札幌駅から「からまつ」に乗車して手稲に向かいました。 「からまつ」到着。でも機関車しか写ってないべ。わり~。 銭函→手稲 521D(仁木発滝川行き) 奥に手稲駅が見えます。線路が一杯、貨車もあるでよ。 ここでは優等…

本日のスキャン 特急の窓が開く

国鉄の特急形車両では客室の側窓が固定されています。151系電車以来の仕様です。ところがそれに反旗を翻した車両がおりました。185系電車です。通勤にも使ってしまえという無茶な設計思想で誕生した形式ですが、塗装の塗り分けもこれまでにない斜めストライ…

釜谷臼へ行こう

天気が良かったからだったか、学校の帰りに札幌駅でちょこっと撮影した後、札沼線の釜谷臼に行くことにしました。現在の、あいの里公園になります。 まずは懐かしの札幌駅0番ホームあたりの様子から。土曜日の午後のまったりした時間帯です。この頃は「まっ…

本日のスキャン DD51

中間台車のない、紛れもないDD51。単に仮台車を履いているだけですねん。 昭和53(1978)年10月13日 苗穂工場 一般公開日にて

帰宅

福島臨海鉄道の撮影を終えると後は帰宅するだけ。平駅では3時間近くも待ち、ようやく乗り込んだのは下り急行「十和田1号」、14系客車でありました。急行列車なのに特急用車両に乗れちゃう。しかも車内には乗客がほとんど居ないので腰掛を向かい合わせにして…

福島臨海鉄道

最後の私鉄訪問となったのは福島臨海鉄道でした。すでに旅客営業は廃止され、貨物輸送だけとなっていたため、運転時刻を尋ねるべく、小名浜にある事務所を訪れました。事務所ではダイヤをいただいた上に旅客営業廃止記念の切符まで頂戴致しました。 そういう…

本日のスキャン イラスト入りヘッドマーク

電車特急のヘッドサインが昭和53(1978)年10月1日からイラスト入りになりました。気動車特急はそれよりしばらく後になります。 これがきっかけで特急列車やブルートレインに子供らの人気が集まり、それまでのスーパーカーブームからブルトレブームへと移行…