ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 31とC11 36

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月25日 小松島機関支区

車歴は↓こちら。

C1131 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

正面に形式入りナンバープレートが機関車の矜持を感じさせます。LP403で、ちと頭が重そうです。パイプ煙突は昭和初期に製造されたC53から採用されたもので、フロント部からランボードにかけての造形が曲面から傾斜した平面とされたのもC53以降のものです。

排障器の排障板が、本来のステーではなく、一体化した先輪のすぐ前に取り付けられています。なぜそんな面倒臭い事を。排障ステーの立場がないではありませんか。

 

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昭和46(1971)年2月19日 熊本機関区

車歴は↓こちら。

C1136 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

タンク機関車は、後ろに炭庫を備えているので、必然的に密閉式キャブになります。一般形テンダー機の密閉式キャブはC58から採用されましたが(C53やC55の流線形機関車も密閉式キャブだが特殊な構造)、九州地区では密閉式は「クソ暑い!」とばかりに出入り扉を撤去して半密閉にしたものも少なくありません。

8620形式や9600形式など、誕生した当時に真空ブレーキを採用していた機関車は、後に空気制動とした際に関連装置を搭載し、その形態が工場や機関区によってマチマチだったことで1輌ごとの個性が生まれることになりますが、最初から空気制動として誕生したD50以降の機関車では、ランボードや元空気ダメの位置・形状は統一されています。タンク機のC11ではランボード付近に元空気ダメ・配管を設置するスペースがないため、炭庫の下部に設置しています。

動輪直径は1520mmとされ、そこそこの高速運転(最速85km/h)が可能であり、後の万能機関車と謳われたC58も同じ径を採用しています。