ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 28

田中 泰三様と藤田慶二様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年5月3日 吹田第一機関区

D52の外観的特徴として、シリンダと煙突は側面から見て中心が600mm(給水温め器を煙突前に移設した際に煙突を50mm後退させ550mmになります)ずれていることが挙げられるでしょうか。排蒸気吐出口は煙突中心にあるので問題ありません。

原設計では給水温め器(筒形ではなく角型)は排気膨張室内(両シリンダの間)に、線路方向に設置されましたが、現場からは保守上に問題ありとの声から、戦後の改装時にD51と同様に煙突前に移設されました。戦時型時代の写真を見ると、煙突前に給水温め器がないのはそのためです。戦時型D51でも煙突前に給水温め器の無い写真がありますが、あれは本当に無いものです。

 

張り出したキャブ屋根をよく見ると、若干切り欠かれています。これは戦後の改装時にストーカーを設置したことによりキャブ床面が高くなったため、乗務員が出入りの際に頭がつかえることの無いように処置されたものです。

昭和43(1968)年2月6日 米原機関区

フロントデッキの奥行が極めて狭いため、デッキ昇降用のステップは前端梁に設置されています。それに伴い、解放テコは幾分幅が狭いです。

 

昭和44(1969)年2月3日 吹田第一機関区

資材不足の中、短期間(昭和18~21年)に大量増備(285輌)されたD52ですが、ディテールに関しては様々な理由で製造工場による違いがあったようです。28号機では除煙板の前端の位置がスロープ下端になっています。原設計では、前端梁よりも前方に突き出ており、古い写真では戦時型時代の木製除煙板にその形状が確認できます。鋼板に改装された多くのD52は、前端はデッキ上まで伸びていますが、28号機は明らかに「切り詰め」です。D51ほど多彩ではありませんが、子細に見れば「プチ変形」な箇所は随所に見受けられそうです。

28号機は鷹取工場製ですが、鷹取工場製のトップナンバー21号機は浜松工場製の1号機よりも1週間早く落成しています。1号機の命名について、その裏話が車歴表に記されてはいるものの、メーカーも含めて最初からナンバーは振り分けて与えられていた筈。(153~197、256~332は当初から製造予定のない架空ナンバーと云われています。)何だか後付けされた話のようにも思えます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D5228