ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 1

’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

今回からD52が始まります。戦時中の大量物資輸送を目的に開発された国内最強の貨物用機関車D52は、いわば戦争の申し子と云えるかもしれません。資源に乏しい日本が限られた鋼材で製造するにあたり、徹底した経済設計で「戦争が終結するであろう5年持てばよい」などと現場職員の苦労を無視するような無責任な条件下で製造されました。

製造計画輌数は492輌で、昭和18(1943)年より鉄道省国鉄)の浜松工場、鷹取工場の他、日車、川車、日立、汽車、三菱の各メーカーにより製造されました。しかし昭和20(1945)年の戦争終結と共に製造は打ち切られ、落成は285輌に留まり、多くの欠番が生じることとなりました。

さて、1号機は、鷹取工場製21号機の一週間後に浜松工場で産声を上げました。戦時体制ということもあってか、初期の製造は国鉄工場で行われました。

昭和41(1966)年8月13日 小郡駅

主に大量の軍需物資輸送を目的として開発されたため、まずは陸上輸送の大動脈である東海道本線山陽本線沿線の機関区に配置されました。技術陣と製造工場の苦労が実り、D51の1000トン輸送に対してD52は1200トン輸送が可能でしたが、戦時設計だけにトラブルも多く、その持てる性能を発揮できるのは標準化改装後となります。

D51はD50の後継機という位置づけですが、D52は全く別路線の機関車で、それ故に運用範囲が限定され、D51ほど長生きはできませんでした。

 

昭和42(1967)年11月4日 矢賀工場(現 JR貨物広島車両所)

記念すべき1号機は廃車の1か月後、国鉄工場内に保存されました。後に準鉄道記念物に指定されています。とにかく、デカイ。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D521