ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 863

SAMPUKU爺様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和42(1967)年7月24日 吹田第一機関区

吹田一区ならではの除煙板無しの姿。おまけにLP405装着ときては、D51の貫禄もどこへやら。嫌いではありませんが、入換専用機のD51って、なんか勿体ないです。せっかく標準型改装されているというのに。

 

昭和43(1968)年9月23日 吹田第一機関区

 

昭和44(1969)年2月3日 吹田第一機関区

ちょっと分かりにくいでしょうか、ドーム前端の形状。862号機と同様、斜め2面折れとなっています。後部も同様です。861~863号機が同様の形状になっているというのは、標準化改装時ではなく、製造時からだったのかもしれません。この3輌は浜松工場製の最終ロットですので。

また861号機と863号機の安全弁は、皇室下賜(かし)品である青銅製花瓶を鍛鋳したものと言われています。ところがどっこい、あるサイトと「鉄道ピクトリアル 2022年2月号」の記事によれば、ご下賜花瓶鋳造による安全弁を装備したD51は「恩賜のD51」と呼ばれており、浜松、鷹取の2工場に1輌ずつ、日車、汽車、日立、三菱、川崎の各メーカーに2輌ずつであり(全て準戦時型)、その機番は日車製が846、847、鷹取工場製が853、浜松工場製が861、汽車製が868、869、日立製が876、877、三菱製が900、901、川崎製が920、921となっており、浜松工場製の863号機は対象外となっています。こうなるといわゆる恩賜の12輌のD51は実際には13輌だったのか、それとも単に863号機は対象外だったのか、疑問が残るところではあります。

入換専用機とはいえ、この姿で城東貨物線で貨物列車を牽引する姿が記録されており、ファンの目には奇異に映ったことでしょう。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51863