ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 839

田中 泰三様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和45(1970)年5月28日 鳥取機関区

米子機関区時代の姿になります。

番号板が高い位置にあった838号機とは対照的に、839号機では低い位置にあります。同じ鷹取工場製でお隣の番号なのに何とも奇妙です。配置された機関区の違いによるものでしょうか。繰り出し管も838号機は2段折れなのに対して839号機は1段折れ。おそらく838号機ももともと1段折れだったものを標準化改装で2段折れにしたのでしょう。

キャブ前窓の庇が通常よりも長く見えます。山陰本線はほぼ東西に走っているため、朝日や西日をモロに受けやすいために、運用される機関車は庇を長くしていたようです。

シリンダブロックにある丸い「蒸気室空気弁」、その下にはシリンダの点検蓋があります。通常は長円形なのですが、何だか四角っぽく見えます。

ドームには小さな手摺の他に、吊環らしきものも付いています。

838号機もそうでしたが、キャブ出入り台付の手摺は屋根上の雨樋とは切り離されています。どうしてわざわざ切り離したのでしょう。

 

昭和47(1972)年8月27日 浜田機関区

10か月足らずで終焉を迎えた浜田区時代になります。区名札は差してませんけど。全国操配による措置だったのでしょうかね。

除煙板の上端はくっきり折れていますが、設計上は半径200mmで曲げることになっています。

解放テコ受けの捻りは相変わらずキツイです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51839