ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 83とC58 85とC58 86

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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撮影日不明 北見機関区

車歴は↓こちら。

C5883 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

釧路区、北見区で一生を過ごしたこの機関車、アーチ状のツララ切りこそありませんが、ドーム前の手摺の形状がユニークです。火星人の頭みたいで。除煙板の切り詰め前に廃車されてしまいました。排障器の板が増設されて二段構造になっています。

この機関車に限ったことではありませんが、ボイラーとランボードとが接する部分の覆いが撤去されています。

 

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昭和43(1968)年6月30日 高崎第一機関区

車歴は↓こちら。

C5885 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

両毛線で活躍していた頃でしょうか。この後、新小岩区へ異動し、入換に従事したようです。

 

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昭和43(1968)年3月31日 米子機関区

車歴は↓こちら。

C5886 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

本線運用ではなく入換機だったようです。入換機だったC58としては他に米沢区の282号機、郡山区の41号機、米原区の21、185、200、347号機、鳥取区の72号機などがおりました。中でも米原区のC58のうち、200号機を除く3輌は除煙板が外されていました。

C58 78とC58 80

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月25日 多度津機関区

車歴は↓こちら。

C5878 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

松山気動車区で廃車になる直前、疎開して正式な廃車を待っている状況でしょうか。

集煙装置、重油タンクは、高知機関区時代に装備されたもので、土讃線の険しい道のりを喘いだ時の名残でしょう。その頃、高知機関区には四国唯一のD51が11輌配備され、C58とともに運用されていたようです。D51の配置は昭和24(1949)年からのほぼ10年間だけでした。

 

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昭和43(1968)年10月3日 豊岡機関区

車歴は↓こちら。

C5880 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

56~58号機同様、せり出した運転室窓が特徴です。

この機関車も火の気が感じられませんが、廃車でも休車でもないようです。

ドーム横に「架線注意」札が貼られるのは少数派でしょう。

それにしてもキャブ下のパイピングを見るにつけ、何がなにやらさっぱり分かりませんが、模型化する人たちの頭の中では整然としているのでしょうね。

C58 74とC58 75とC58 77

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月1日 敦賀第一機関区

車歴は↓こちら。

C5874 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

 

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昭和43(1968)年6月1日 敦賀第一機関区

車歴は↓こちら。

C5875 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

74号機、75号機は同じ所属機だけあって、装備は似ているようです。「架線注意」札の貼り付け場所、後部標識灯の設置位置、煙室扉蝶番のリブ補強など。

小浜線で活躍していました。

 

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昭和43(1968)年3月15日 遠江二俣機関区

車歴は↓こちら。

C5877 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

いわゆるクルクルパーを載せていますが、個人的には嫌いではありません。

二俣線天竜浜名湖鉄道に変わり、遠江二俣駅天竜二俣駅に改称されました。機関区は有形文化財として昔の面影を後世に伝える貴重な施設になっています。C58はいませんけど。

C58 71とC58 72

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月19日 一ノ関機関区(一ノ関管理所?)

車歴は↓こちら。

C5871 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

大船渡線で客貨の列車を牽引していた頃でしょうか。大船渡線ではC58の他にD50なども集煙装置を載せているものが多い中で、この機関車にはありません。なんでかな~。

 

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昭和43(1968)年9月20日 鳥取機関区

 

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昭和43(1968)年10月3日 鳥取機関区

車歴は↓こちら。

C5872 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

71号機、72号機もまた姉妹機関車らしく表情は同じです。おまけに、前端梁の穴の多さもそっくり。前照灯はLP405は軽薄な感じで、LP403だと重い印象ですが、集煙装置が微妙にバランスを取っているようにも思えます。

C58 64とC58 66

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年8月28日 小郡機関区

車歴は↓こちら。

C5864 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

ながらく芸備線で活躍するも、小郡区転属後ほどなく休車に。そしてすぐに廃車。

47号機同様、炭水車後面の左側ステップは屈曲することなくストレートの形状です。

 

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昭和47(1972)年8月25日 亀山駅

車歴は↓こちら。

C5866 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

暑さからでしょう、開けられる箇所は全部開放して、キャブ内の通風をよくしているようです。加太越えの補機運用に備えて集煙装置を装備していますが、合間には信楽線まで足を伸ばしていたようです。

太平洋戦争中、C58は25輌がメートルゲージに改軌の上、タイやビルマに供出されたということを過去記事で書きましたが、計画では更に改造済の26輌が供出されることになっていました。しかし戦局悪化でそれ以降の輸送は断念。これら26輌は戦後、原形に復元されて国鉄に無事復帰しました。今回の64号機、66号機はともにメートルゲージに改軌されて危うく異郷の地へ飛ばされるところでした。命拾いをしたC58は他に39、41、46、49~51、56~58、65、69~72、88~90、92、132、136、137、139~141号機の24輌です(「蒸気機関車」昭和50年7月号より)。

66号機は大阪市内のローソン内に保存されていますが、厳重にガラス張の「檻」の中にあるので、接近して観察することはできません。除煙板のツバメマークが何となく怪しげで、形式入りの赤いナンバープレートもちょっと不気味な感じがします。形式入りナンバープレートを装着した現役時代の写真は、C58 1落成時の公式写真でしか見たことがありません。

C58 59とC58 61

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月25日 讃岐津田駅

 

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昭和44(1969)年4月5日 松山駅

車歴は↓こちら。

C5859 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

K-7タイプの門デフを装備。集煙装置は多度津工場で取り付けたもの。砂撒き管が追加され、第一動輪の前方へ誘導。

前照灯は大分区時代にはLP403でした。

 

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昭和45(1970)年9月25日 広島駅

車籍は↓こちら。

C5861 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

芸備線や、今は亡き宇品(うじな)線で活躍していた最後の頃のようです。宇品線は通勤通学の定期券利用客のみを扱う、時刻表には存在しない「ゆうれい列車」として有名でした。終点の上大河(かみおおこう)駅では機関車の機回しができないため、広島区のC11と組んでプッシュプル運転を行っていました。

C58キャブの後方妻面は石炭取り出し部だけ開口している、いわゆる「完全密閉」構造となっており、そのため上部には前方妻面同様に丸い灯取り窓が設けられています。

石炭が見えませんね。こんなんで足りるの?

C58 57とC58 58

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年10月3日 真倉駅小浜線

車歴は↓こちら。

C5857 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

 

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昭和43(1968)年10月3日 福知山機関区

車歴は↓こちら。

C5858 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

57号機、58号機は連番する兄弟機であり同じ福知山区に所属するだけあって、外観はそっくりです・・・とはならないのが蒸機の面白い所。除煙板の点検口の有無、後部標識灯の設置位置の違い、煙室扉蝶番のリブ補強の有無、炭水車の増炭枠の有無など。まあ、大した違いではありませんが。

前回の記事の56号機同様、57号機、58号機もまたキャブ前窓はご覧のように改造されています。しかし改造は機関士側だけのようです。