ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

なぜか津幡で

北陸本線津幡駅から七尾線は分かれますが、分かれて最初の駅が中津幡です。どうしてここで下車したのかはさっぱり思い出せません。

まずは未明の金沢駅から。

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06:18頃 金沢駅 加越2号

この日の「加越2号」はボンネット車ではありませんでした。まあ、普通はこうです。

 

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06:33 北陸

 

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機回し

「北陸」のテールマークの照明が消されてしまいました。残念。

結構、雪が降っています。ちょっと心配になりますが、これが良い結果をもたらします。

 

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07:15 中津幡駅 329D

金沢から20分足らずで到着。乗って来た列車を見送ります。画像の右側が暗くなっています。撮影していた当時は知る由もありません。

 

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07:22 本津幡中津幡 124列車

貴重な客車列車も、当時はさほどありがたみも感じず、せっかく来たから撮影しとこう、くらいの気持ちでした。そしてここでも画像の右側は暗くなっています。スキャナの不良ではなく、カメラの露光ムラです。

実はこのカメラ、中古で入手したキャノン旧F-1でした。電池がなくても動作する機械式シャッターのカメラが予備に欲しかったので購入したのですが、購入した足ですぐに試し撮りをして、カメラの不調が露見。すぐに購入した店に持って行き修理に出しました。そして今回が修理から上がって最初の撮影だったのです。悔しいことに完全に良くはなっていませんでした。信頼のキャノンだったのに。

 

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07:38 中津幡本津幡 326D

ちょっとした足場があったのでそこに上がりました。F-1での撮影。

 

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07:52 中津幡本津幡 328D

新雪がいい感じで景色を作ってくれました。F-1は露光ムラを作ってくれました。こんにゃろ。

ここが今はどうなっているのか、ちょっと気になってストリートビューを見てみると、見事に宅地になっていますよ。

 

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09:31 中津幡本津幡 SLときめき号

メインの「SLときめき号」です。枝の雪はすっかり解け落ちてしまい、ちょっと残念なところです。煙は最初から期待していなかったのでこれでよし。あぜ道で汽車を見送るご婦人の姿が印象的です。3枚目がF-1。露光ムラがなくても、ここまで引いちゃうとつまんないですね。

 

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09:37頃 中津幡本津幡 能登路2号

本津幡駅が見えます。「SLときめき号」は「能登路2号」の通過待ちでしばし停車しておりました。ということは、発車時に煙を上げるのか?

 

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09:37頃 本津幡駅 SLときめき号

煙、上がった~。でも、だから何?という感じの写真。

この場所での撮影は終了。

 

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本津幡

せっかくなので、中津幡へは戻らず、本津幡に来ました。もっとも、中津幡本津幡の間はわずか1.1kmしかありません。現在、駅前は整備されてだいぶ様子は変わったようですが、この駅舎は今でも残っているようです。

 

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10:47 本津幡駅 337D

撮影結果を知ることもなく、意気揚々と次の撮影地へ向けて移動するのでした。

 

昭和63(1988)年2月13日