東京では中島みゆきさんの「夜会」を見て、翌日は鉄道に関連したことで人に会う。結果的に、会う意味は全然なかったけれども、うまい話をする人間は信用するなという教訓だけはしっかり心に刻めました。すっかり忘れていたあの時の不快感が甦ってしまいました。だってだってだって、事前に電話をしたら「じゃあ、会いたいからウチの会社に来て」と言われたからその人が勤める会社へ行ったら「あれ?来たの。困るな~」だって。それでも1時間ほど話し込んでくれたものの、別れ際「またこちらから電話するわ」とか言いながら、結局それっきりです。断交人間2号の誕生です。断交人間は今のところ3号までいます(笑)。
夕方には余裕を持って「北斗星1号」に乗り込みました。初めてのB個室「ソロ」でした。イヤな気分もこれで吹き飛びましたよ。
同じEF81でも、JR東日本所属の機関車は交流機関車と同じ赤色をまとい、オリジナルのローズピンクよりもシャキッとした印象があり、個人的には好ましく思っています。流星マークもなかなかよろし。
この車両に乗りましたが、車内の写真は1枚も撮っていません。DATウォークマンを室内スピーカーの近くに置いて、車内アナウンスをずっと録音していましたが、なぜかノイズだらけでまともに録音されていませんでした。帰宅してからプレイバックし、落ち込みました。
ほんで、雪の札幌駅に到着。まだ11月半ばなのにまるで冬景色。ごちゃごちゃした東京から戻り、ホッとします。機関車の写真を撮るのは自分一人だけでした。
札沼線の乗り継ぎまでの間、何枚か写真を撮りました。ワンマン化改造を受けたキハ22に続きキハ40も、キハ141系の塗色に次々と塗り替えられています。しかしキハ24とキハ46、それとワンマン化改造を受けなかったキハ22はタラコ色のまま引退しています。
スキー客を乗せて、富良野と結んでいた「フラノエクスプレス」。この時点ではまだ乗ったことはありませんでした。
「北斗星1号」の回送列車が発車して間もなく、「トワイライトエクスプレス」が到着。東京と大阪から、さして間を置かずに寝台列車が到着するなんて、実にいい時代でした。
この2週間後、再び「夜会」を観るために上京します。
平成6(1994)年11月14~15日