ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 568

SAMPUKU爺様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月19日 盛岡機関区

除煙板の吊り具掛けの孔位置は、567号機と同じようです。奥の方にも小さめの孔があるようです。小さめって何だよ。

孔と云えば、前端梁にも孔がちりばめられています。全部スノープラウ用かと思ったら、下の画像を見る限り、両端のは使ってませんね。別のタイプのスノープラウ用なのでしょうか。スノープラウに干渉するため、サイドステップは撤去しているように見えます。スノープラウそのものをステップ代わりとしていたのでしょうか。そのステップですが、上下段で構造が異なり、上は通常の鋼板(縞鋼板か?)で、下はグレーチングらしきもの。

背後の門型クレーンの運転室は、俯瞰撮影するにはもってこいの場所ですね。昇るのは大変そうですが、クレーンの運転士は毎日ここを昇り降りしてたんですね。トイレにも行けやしません。しかし、相当に揺れそうです。

 

昭和43(1968)年1月24日 沼宮内

沼宮内駅は、青森方面への下り列車に連結する補機の基地だったので、転車台と給水設備がありました。(見たことも行ったこともありませんが。)毎日繰り返される勇壮な三重連の姿を、一度でいいからこの目で拝みたかったです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51568

 

先月から準備していた新作ビデオの編集がようやく終わりそうです。昨年購入した新しいPCでの初作品ですが、使う人間が古いままなので、作品の質には影響しません。とはいえ、今回はドローン空撮映像や古い空中写真や地図を収録したのは新しい試みです。

そんな中、大正から昭和初期にかけて発行された国土地理院の5万の地図をアップしている海外のサイトを見つけ、思わず北海道分を全部ダウンロードしてしまいました。JPG2000というファイル形式なので、扱い辛くはあるものの(1枚20~30MBですが、pngに変換すると200MBにもなります)とにかく原版に近い解像度なのがありがたい。

根室本線が釧路線と呼ばれていた頃。