田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮下さい。
昭和45(1970)年3月22日 苗穂機関区
父に連れられて、初めて苗穂機関区を訪問した時のものです。小学校を卒業し、中学生になるまでのモラトリアムプータロー状態でしたが、これが今につながる人生のスタートと云っても過言ではありません。おそるべし、蒸気機関車。
昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区
原ノ町区からの転属時期が遅かったせいか、キャブは密閉化されていません。タブレットキャッチャーをかわすための手摺の曲がりは北海道機独特のもの。先輪はディスクタイプに交換されています。助士席のキャブ前窓には防護用の金網が設置されています。メーカーズプレートな撤去され、重量換算表記はかすれて判読困難です。キャブ屋根の吊り環は北海道では見られない形状に思えます。
昭和49(1974)年8月 鹿ノ谷駅
今からは想像もできない鹿ノ谷駅の規模。夕張鉄道が乗り入れ、機関区までありましたからね。764号機に変化は見られませんが、重量換算表記はしっかり書かれているようです。
昭和51(1976)年8月14日 小樽築港機関区
廃車後の一時期、小樽築港駅の構内に留置されていましたが、保存に向けて車庫に格納しています。
シグマのミニズームは安価にふさわしい悲しい品質で、ご覧の通りフレアやゴーストが出まくりです。1年使った後、引き伸ばし機のレンズを購入する際の下取りに出して1000円になりました。このことがあって、シグマにはいい印象を持っていませんでしたが、今はいいレンズを作っているんだとか。頑張ったねえ。
764号機は吹田市で保存されていましたが10年前に解体されてしまいました。
車歴は↓こちら。