ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 684

田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮下さい。

「架線注意」札が除煙板上部ステーに取り付くのは、二つ目キューロク方式ですが、この場合、ステーの下側でした。684号機のようなステーの上側に付くのは東北の機関車で見られ、このブログでは35号機、614号機で確認できます。他に32、354、401、428、456、457、563、900号機などがあります。

昭和48(1973)年11月26日 深川機関区

北海道へ異動した時期が遅かったせいか、キャブは密閉化されていません。しかし、タブレットキャッチャーとの干渉を避けるため、手摺は屈曲されています。

 

昭和49(1974)年12月18日 滝川機関区

炭水車の前照灯は、やはり奥まった位置に移設されています。

後部標識灯が左右で取付高さが違うのは、右側のが中途半端な高さで固定されているから?灯具そのものの形も違うように見えます。

左右のステップ上部にはベロ形の板が増設されています。補強なのでしょうか。

ナンバープレートが煤けているのは、北海道機関車のお家芸

 

昭和50(1975)年8月 不明

前照灯の下にも「架線注意」札が貼られ、正面だけで5枚。

ナンバープレートの取り付け位置は、向かって左寄りに見えます。

 

昭和51(1976)年3月4日 小樽築港駅

保存へ向けて小樽築港で留置されていた頃。

 

昭和51(1976)年7月7日 琴似→桑園

小樽築港から苗穂に回送されます。何故か汽笛と安全弁がありません。

この後、どのような経路で保存先である東村山市へ輸送されたのかは分かりませんが、保存先ではロクにメンテもされぬまま朽ち果て、そして解体されてしまったようです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51684