田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年3月18日 南延岡機関区
兄弟機である1141号機同様、前部の「架線注意」札の貼り位置が特徴的。けれども砂撒き管の配置は幾分異なっています。屏風の裏当ての位置にも違いが見られます。そして上部ステーは標準的なもの。
ランボードとモーションプレートの白差し、リンゲルマン濃度計、磨かれた車体など、九州機らしい姿です。繰り出し管はシリンダ手前ギリギリまで伸びており、油ポンプ箱はランボードの上に移設。
番号板が窓枠ギリギリの取付。砲金製の区名札は何とも窮屈そう。製造銘板もなく、ぽっかり空いた側面には、かつてタブレットキャッチャーが付いていたのでしょうか。
昭和46(1971)年2月17日 行橋機関区
LP42は、もともと前部に装着していたものでしょうか。解放テコは簡易的なもの。ランボードの給水ポンプの跳ね上がり部は、水平になっていませんね。もともとは無かったものでしょうけれど。後部標識灯は埋め込み式。
引退後は佐世保市内の公園で、良好な状態で安眠しています。
車歴は↓こちら。