ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

サハリンのD51

さあ、最後のD51の記事です。とはいえ、今後未掲載のナンバーや、既出ナンバーでもディテールのしっかりした写真が発掘されたら、随時アップしようとは思います。

さて、サハリンのD51は戦後、ソ連が侵略強奪した南樺太の鉄道向け30輌が、国内五大車輛メーカー(汽車、川車、日車、日立、三菱)によって製造され輸出されました。これを「戦時賠償」とか「戦後賠償」としている記事を多く見かけますが、実際はどうだったのでしょう。賠償だなんて、一方的に中立条約を破棄され侵略された側がするものなんでしょうかね。昔からロシアやソ連は他国を蹂躙してきた過去があり、本当に信用ならん国です。それはともかく、平成2(1990)年にサハリンから6輌のD51(1、2、23、25、26、27)が小樽港に陸揚げされました。その時は煙室戸が小振りなD51らしからぬ姿もあります。

https://twitter.com/sentetsuED75103/status/1655193411539070976

ここでは23、25、26号機をご紹介します。

まず日高の平取町振内町の「振内鉄道記念館」に保存されている23号機。

平成30(2018)年11月10日

汽車會社 昭和24(1949)年2月落成 製番2578

23号機と云ってもスーパーなめくじではありません。同じ汽車會社製造ですが。

サハリン仕様として巨大な前照灯と留め金具だらけの煙室戸が目につきます。前端梁の下端にはアールがなく角ばっています。空気圧縮機付近には予備の空気ダメのようなものがランボード上にあります。これらは戦後、サハリンになってから改装されたものと思われます。「終戦直後の蒸気機関車 昭和20年代の鉄道風景 浦原 利穂 写真集」(ないねん出版)に掲載されたD51-3、D51-4の写真を見ると、その姿は極く普通のD51なので。

密閉キャブは落成時からのもので、極寒の樺太向け仕様です。それに伴い、炭水車のキャブ側端面は北海道の密閉キャブ機同様に、テーパーを付けて曲線区間でのキャブとの干渉を回避しています。炭水車は8-20Bですが、キャブ側に切り欠きはありません。キャブ屋根の後方への張り出しは、北海道機よりは少し長めです。なお写真がないため記事にはできませんでしたが、戦時中、樺太庁鉄道により西海岸に久春内(くしゅんない)~恵須取(えすとる)間に新線が計画され、その鉄道向けに2輌のD51が発注され汽車會社で製造されましたが、線路の方は戦局を鑑み未成線に終わったためD51樺太へ送られることなく北海道に留まり、国鉄に移管され864、865号機となりました。この2輌もまた密閉キャブで落成したと言われていますが、その落成時の写真も図面もないため、道内で改装された密閉キャブとの違いは確認できません。

当然ながら、ATS用のタービン発電機は未搭載です。

担いバネ前面カバーには、後部標識灯が埋め込まれていたのか、穴が開いています。

解放テコがエナメル線で作ったかのようにグニャグニャです。連結器と共に、保存に際して日本仕様に復元されたのかもしれません。

除煙板に貼られているプレートには寄贈者の名前が記されています。個人が購入したもののようです。

 

お次は25号機と26号機。日高のむかわ町国道235号線沿いの空き地にありました。

撮影は平成10(1998)年5月11日

展示に向けて整備されていたように見えます。しかしその外観から、しばらく放置されてきたようです。そしてこのまま放置され続け朽ち果て、結局は正式に展示されることなく解体されてしまいました。

これも汽車會社製で昭和24(1949)年4月落成 製番2580。

23号機同様、砂撒き管の配置が汽車會社らしくありません。

 

左端が国道235号線で、私有地の端から撮影しているので、アングルは限定されます。周囲に人影はなく、立入撮影許可をもらうことは叶いませんでした。右奥に見えるのが26号機です。ま、それでもちょっとは無断侵入してしまいましたが。

25号機とは対照的にこちらは未整備で、かなり朽ちた状態で部品の欠落も見えます。そんな状態でランボードや除煙板縁取りの白線って何なのでしょう。主連棒がランボードに乗っかっているし。23号機同様に、担いバネ前面カバーには二つの穴が開いています。整備されぬまま解体された模様。

三菱製で昭和24(1949)年2月落成 製番665。前端梁の端面は三菱仕様ではありません。

 

国内に現存するサハリンD51は23号機の他、標津線西春別駅跡の別海町鉄道記念館の27号機(三菱製 昭和24(1949)年3月落成 製番666)のみとなっています。

それにしてもソ連が崩壊しかけている時期に、よくぞサハリンから取り戻したものです。因みにロシア語のアルファベットに「D」はありません。