田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年8月7日 旭川機関区
元胆振縦貫鉄道のD5103号機。隣の953号機も同D5104号機。
D51の準戦時型は前回の949号機で終了し、950~954号機の5輌は、いずれも胆振縦貫鉄道から移籍したD51で、D5101~D5105号機でした。国鉄編入後も数年間は胆振縦貫鉄道時代のナンバーのままだったようです。
製造時期は954号機だけが準戦時型と同時期ですが、私鉄向けということからか標準型となっており、それ以前に製造された他の4輌も当然標準型です。繰り出し管は公式側もしっかり2段折れです。
旭川区所属機らしく、サイドステップが前端梁に移設されています。
昭和42(1967)年8月10日 長万部機関区
胆振縦貫鉄道時代はどのようなスタイルだったのでしょう。私鉄向けの国鉄型機関車は、ちょっとどこか違っているのが興味深かったりするのですがね。
砂撒き管が3本平行に垂直に下りているのは汽車會社製の特徴です。
昭和48(1973)年11月26日 旭川機関区
正面とキャブ側面の番号板は、書体や字の間隔が微妙に異なっています。
給水温め器のバンド、向かって左側のが傾いてますね。
昭和49(1974)年8月 旭川機関区
足回りが隠れていますが、昭和42年当時の姿と異なるのは除煙板だけなのでしょうか。
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