ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

DT668(D51 18)

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

平成21(2009)年1月11日 彰化機務段

日本が統治していた時代の台湾総督府鉄道部が発注したD51 1~32号機のうちの一輌で、昭和16(1941)年、川崎車輛で製造された元D51 18(製番2593)です。鉄道省国鉄)のD51と番号は重複していますが、余程のトンチンカンでもない限り、標準型のスタイルを見て「ナメクジが標準型に改造された!」と勘違いされることはなかったでしょう。戦後、台湾が中華民国になってから形式がD51からDT650に改形式されました(DT651~DT682)。「DT」の「D」は動輪4軸、「T」はテンダー機を表します。

DT668に関してはウィキに詳しいのでそちらを参照して下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E9%89%84%E8%B7%AF%E7%AE%A1%E7%90%86%E5%B1%80DT668%E5%8F%B7%E6%A9%9F

外観的にはカウキャッチャーが目を引きます。のんびり線路を横断する家畜の姿が目に浮かびます。煙室戸の押え金具には外国の機関車の香りがします。因みに煙室戸が煙室端部に密着していないとその隙間から外気が煙室内に流れ込み、真空度が低下し、通風(ドラフト)不十分により石炭が十分に燃焼できず、蒸気不騰発となりパワーが得られなくなります。また外気の酸素により煙室内のシンダが再燃して、煙室部分を損傷する事態を引き起こすことにもなりますので、煙室戸の密着度は非常に重要なものです。

台湾総督府D51は32輌製造されましたが、戦後になって台湾鉄路管理局が運営を引き継ぐと、昭和26(1951)年に更に5輌が発注・製造され、これらは当初からDT650形式として続番のDT683~DT687と命名されています。

なお、28~32号機の5輌は戦前に落成しながらも戦局悪化により海上輸送ができなかったため、戦後の昭和21(1946)年になってから台湾へ送り出されており、それまでの間、国鉄は1162~1166号機として借用したことになっています。しかし実際にそのナンバーを掲出して運用されたのかどうかは、戦後の混乱期であり運用記録も写真も見つかっていないので全く不明です。

 

D51の記事は今回で終了する予定でしたが、まだサハリンのD51が残っておりましたので、あともう一回だけ。てへ。