ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 2

SAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 2は元D50 44

D50 44の車歴は↓こちら。D50 44の旧機番は9943。

http://d51498.com/db/D50/D5044

昭和42(1967)年12月9日 鳥栖機関区

D60は言わずと知れたD50を丙線でも活用できるように軸重を軽減した改造車です。D51やD52の増備によりD50が余剰となっていたこと、戦中、9600が250輌を超える輌数が軍事供出されて不足していたこと、また初期の9600の老朽化が始まっていたこと、更に輸送力の増強を目的としたことなどによる措置で、すでにD62が登場していたことで改造実績もありました。早い話、余剰D50の有効活用による9600の置き換えです。外観上は2軸従台車を除けばD50そのものですが、細部を見るとD50での問題点を改善した箇所が幾つもあるようです。

軸重は軽くなったものの総重量はD50を上回ったことで橋梁への負担が増し、また線路への横圧は9600よりも大きいため、運用する線区は限られることとなりました。また旅客列車の無煙化の進捗や線路強化によりD51の入線が可能となったことで、改造は78輌に留まり、9600の置き換えには至らず、昭和49(1974)年に全廃されています。なお改造規模は小さめということで、全機、国鉄工場での改造です。

 

昭和43(1967)年3月17日 鳥栖機関区

手入れの行き届いた車体、白縁のランボード、D50譲りの化粧煙突、リベット造りの炭水車が優雅です。

フロントの手摺が除煙板付きとなったのもD50との違いです。これによりD50よりも幾分フロント部がスッキリというか、少々間の抜けた感じになっています。

先輪は軸重がD50よりも増えたことにより、軸太のディスクタイプとなっています。

キャブ前窓庇に貼られた「架線注意」札がお茶目ですね。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D602