ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D60 3

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D60 3は元D50 305

D50 305の車歴は↓こちら。D50 305に旧機番は無し。

http://d51498.com/db/D50/D50305

昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区

LP405とパイプ煙突がちょっとアレですが、正面気味から見ると、門デフがなかなかいい感じです。この門デフは採用例が多いK-7タイプで、もともとD50 125が装着していたもの。門デフ採用により、フロントデッキにはD50同様に、独立した手摺が設置されています。

前端梁の向って左下から水平に連結器付近まで伸びるのは暖房用の蒸気管。D60は2軸従台車のお陰で乗り心地が向上した上に、バック運転時の脱線もなくなったと云われています。客車列車をバック運転するために、蒸気管を前方まで配置したわけです。

九州のD60は、最盛期である昭和34(1959)~37(1962)年に29輌が配置され、総数の4割近くが集結していました。その中で、大分運転所には常に10輌前後が配置され、久大本線で旅客、貨物双方の運用にあたっていました。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D60/D603

 

以前、低解像度の映像を高解像度化するアプリについてちょっと記しましたが、実際に使ってみて、映像の内容によってはなかなか凄い代物であることが実感できました。なので、今編集中のビデオ作品の中に収録してしまいました。見る人が見れば何か加工していることはバレバレなのですが、ま、古い映像なのでそれも一興かと。