田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年8月8日 池田機関区
新得機関区時代の姿になります。
切り詰め前の除煙板、補助灯無し。久々のかまぼこドーム。ドーム前の手摺は釧路工場タイプでしょうか。先輪はディスクタイプ。「架線注意」札無し。モーションプレートの先端部の孔は、前号までのなすび形から正円2個へ変わりました。
前端梁の端部の断面形状が特徴的です。
給水温め器、なんか右に傾いていませんか?
番号板の下に、灯具掛けだか道具袋掛けだかが設置されました。
室蘭機関区が旅客用機関車の配置なのに対して、鷲別機関区は貨物用機関車の基地です。といっても既にこの時代、室蘭区に機関車の配置はなく、一方、鷲別区にはD51が22輌、C58が2輌(追分までの運用がありました)、9600が11輌の布陣で気を吐き、更にDLが18輌も配置されていました。
昭和47(1972)年6月18日 鷲別機関区
北海道仕様に改造後の姿。でもキャブは密閉化されていませんので、カーテンが装備されています。
炭水車キャブ側端部の上面にも「架線注意」札が貼られています。
雨樋兼手摺が、タブレットキャッチャー部で湾曲していません。
重量換算票と製造銘板の配置がちょっといい加減ですね。
キャブ前窓の保護網(トンネル内で落下する「つらら」から防護)は、使用しない時には90度向きを変えて視界の妨げにならない様にしていたようです。
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