ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年9月20日 鳥取機関区

新見区のD51と同じく、鳥取区のD51伯備線の米子~岡山間の運用にあたり、加えて、山陰本線の浜田~豊岡間の運用も抱えており、広範囲に稼働していました。鷹取式の集煙装置もそんな事情で装備は必須でした。

キャブ屋根の雨樋の折れが気になりますが、排水勾配を付けたのでしょうか。

それにしても炭水車の石炭、盛り過ぎじゃね?

 

昭和43(1968)年10月3日 鳥取機関区

タブレットキャッチャー取り付けのためナンバープレートは下方に移動され、何とも窮屈な印象です。同じ鷹取工場製なのに502号機とは異なり、こちらのナンバーはしっかりした書体です。

 

昭和44(1969)年5月23日 岡山機関区

米子に移ってからの姿になります。米子区での運用は分かりませんが、岡山区に居るということはやはり伯備線の運用にあたっていたのでしょうか。

助士側の旋回窓がなくなっています。

向って右側の排障器がおかしなことになっているのですが、何かを吹っ飛ばしてしまったのでしょうか。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51504

D51 502

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51502

ナンバープレートですが、494号機のように形式と機番との間に隙間がないので、AD66180図面によるものかと思ったのですが、数字間隔のそこはかとなく間延びした配置とプレートの高さ寸法から察するに、AD66398図面によるもののようにも見えます。書体も何か微妙に癖があります。

ドーム前方の手摺は大型のものです。長野工場で取り付けられたようです。蒸気排気管カバー(缶胴とランボードの接触部のカバー)を残すのも長野工場担当機の特徴のようです。ということは、新津区時代に改造されたということでしょうか。

キャブ前窓には助士席側にも旋回窓が装備されています。これも長野工場で。

キャブ屋根が延長されています。そのせいでしょうか、石炭への散水装置が隠れて見えないのか、それとも撤去してしまったのか、ちょっと判然としません。この後に配置される酒田区では炭水車に重油タンクを載せられます。それにしても長い運用をこなした後だったのか、石炭がとても少ないですね。

現在、葛飾区亀有に保存されているということなので、両津さんや中川君、麗子ちゃんらに見守られているのでしょうね。

 

D51 501

藤田慶二様と田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年2月6日 米原機関区

米原区の配置はわずか10カ月間。長工式門デフに長工式集煙装置は長野区時代に装備されたもの。門デフはN-2タイプ。G-3タイプ装備の499号機のような勇猛さは薄まり、ちょっぴり軽快な雰囲気を感じさせます。

煙室扉回りのハンドレールは取っ手タイプのものがちょこんとあるだけ。

ナンバープレートの固定ボルトは、右上のボルト頭だけがヤケに目立ちます。

前照灯下の「架線注意」札が偏心しているのはご愛敬でしょうか。

 

昭和44(1969)年8月3日 中津川機関区

煙室扉の取っ手が2カ所に増設されており、まるで初期タイプのようです。

前端梁にはスノープラウ固定用のボルト孔が幾つも追加されています。向かって左側の孔は、開け直した感があります。

キャブ前の下方には、326号機で紹介した換気装置を備えています。

背後に見えるEF64はほどなくD51に代わって中央西線の主になります。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51501

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matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月31日 福知山機関区

 

撮影日不明 福知山機関区

 

昭和45(1970)年10月22日 福知山機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51499

727号機とともにG-3タイプの門デフを装備しています。鷹取式集煙装置と重油タンクのものものしさと相まって、まるで鎧兜に身を包んだ戦国武将にも似た重厚な出で立ちではありませんか。個人の感想ですけど。ただし727号機の方は数年でこの姿を解除してしまいましたが、新たな除煙板もちょっとアレなものでした。それは727号機の記事でご紹介します。

昭和42年の時点では除煙板に後藤工場標準車を示す、動輪に「標」と「GT」をあしらったマークが貼られています。いわゆるこのGTマーク、頭のおかしな隣国人が見たら「旭日旗だ!」とばかりに発狂するかも。特にあのギョンドクなどは顔を真っ赤にしてメール攻撃しかねませんね。反日教育によって形成された歪んで醜い恥さらしな人間性は、もはや治癒しませんかね。あれで大学教授とは、あの国のレベルに相応しいのかも。

G-3タイプは近年では498号機や秩父鉄道のC58363も装着しています。勿論、模造品ですけど。

引退後は津市にて静態保存されており、往年の勇壮な姿を偲ぶことができます。それにしても、GTマークが外された頃には、正面のナンバープレートは僅かに上に移動しています。煙室扉を他の機関車と交換したのでしょうか。

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SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月1日 新津機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51498

昭和末期のJR化後に復活し、その後、JR東日本の蒸機として多くのファンから熱い視線を浴び続けてきた498号機です。因みに左隣の667号機は僚機で、右の1002号機は坂町機関区の所属機です。で、それを確認しようと「鉄道ジャーナル 1968年2月号」に掲載されている配置表(1967年10月1日現在)を見てみると、1002号機はなく1001号機が記されています。でも1001号機は直江津機関区にもあるんですよね。単純なミスプリントなのでしょうけれど、その後の号ではその訂正記事が見当たらないのが残念です。活字には絶対的な信頼を置きがちですが、所詮人間のすること。一次資料以外のものは、引用されているうちに、伝言ゲームのように事実とは異なるものに変容する危険性を孕んでいるということを肝に銘じなくてはいけませんね。因みにこの「鉄道ジャーナル」は創刊6号。当時、発行所は「鉄道ジャーナル社」の前身である「鉄道記録映画社」でした。だから、ビデオ作品も多数制作しているんですね。「鉄道ジャーナル」誌の歴史についてはウィキを読めば分かりますので詳しくは述べませんが、今のスタイルになったのは創刊3号の1967年11月号からになります。581系電車が華々しくデビューした頃で、その号の表紙を飾っています。まるで「鉄道ファン」みたいに。創刊号、創刊2号はたまにヤフオクで見かけることがありますが、かなり高価な出品になっています。

 

先月、ヤフオクで入手した創刊3号

 

498号機の話がどこかへ行ってしまいましたが、今なお現役なので何を述べても今更感があるので、何も語ることはありません。ところで、車両限界のような「型」がぶら下がっていますが、なぜにこんな場所に?

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matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和44(1969)年3月5日 竜華機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51497

車歴表によれば、1休指定を受けた直後の姿の様ですが、全体的にテカりがあって、まるで整備を受けた直後の様にも見えます。

鷹取式集煙装置は、関西本線の加太越えに備えての物でしょう。因みに機関車も鷹取工場製です。

後部標識灯用の灯具掛けが4か所もあります。原設計は前端梁のものです。

除煙板には、点検口の蓋を開いた時にそれを固定する金具があります。後年、多くの機関車はこの蓋を撤去してしまいましたが、もともと不要なものだったでしょうに、いやかえって無い方が良かったのに、わざわざ蓋を設けて開口状態にしなかったのは、原型を損なわないという配慮だったのでしょうか。吊り用の孔がありませんが、内側に吊り環が付いているのでしょうか。

給水ポンプの円筒部は何だかへこんでいるように見えます。作業員が頭突きでもくらわしたのでしょうか。頭突きといえば小学校の頃にTVで見た、大木金太郎とボボブラジルの頭突き合いが強烈でした。見ていて自分の頭が砕かれそうで辛かった。

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SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51496

門デフといえばこの形、というくらいポピュラーなK-7タイプの門デフ装備車です。C55やC57ほどの優雅さはありませんが、馬子にも衣装的な凛々しさはあります。先輪がディスクタイプに交換されており、より近代的な印象もあります。

排障器は前側のものだけを残し、後ろ側のものは撤去されています。そもそもどうして原設計では前後の2本組なのか、よく分かりません。

久々に言葉にするリンゲルマン濃度計が、何だか随分内側に設置されているように見えます。こんな位置で、助士席から見えるのでしょうか。

上路式の転車台は、機関車の足回りがすっきり見えるので、ファン的にはありがたい構造です。