田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
C58は丙線向けの客貨両用の機関車として開発された形式で、8620と9600の両形式の性能を兼ね備えたものとして設計されました。軸配置1C1(プレーリー)はテンダー機では唯一の形式です。その外観の類似性から「ミニデゴイチ」などと呼ばれもしていたようです。
昭和42(1967)年8月9日 北見機関区
トップナンバー。旋回窓とドーム前の手摺の設置、除煙板の点検口、炭水車昇降ステップを梯子状への改造、といった程度の改造でしょうか。C55流線型に次ぎ、密閉キャブを採用。
補助灯に見えるのはシールドビームではなく後部標識灯っぽいです。
昭和55(1980)年6月14日 東横浜~山下埠頭
横浜商工会議所100周年、横浜港開港120周年を記念して運転されました。走行したのは高島貨物線の東横浜~山下埠頭間の1駅区間で、13~15日の三日間に渡り3往復ずつの運転。山下埠頭駅に転車台はないので、返しはバック運転。期間中、C58 1は高島機関区に駐留していました。
向って左の旗が横浜商工会議所のもの、右が横浜市の旗になります。
「SLやまぐち号」の予備機に指定され集煙装置を装備。C57 1の時と同じように、一部のファンはこれに文句たらたら。こいつらの口を塞ぐ装置はないものでしょうか。イベント列車にいちいち喧しいっちゅうの。
警備には1600人が投入されるも、沿線はどこもかしこも人・人・人。これに懲りて、首都圏での蒸機列車の運転は今後一切実施しないことになったとか。
北見区時代とはナンバープレートや除煙板に変化が見られます。
「SLやまぐち号」での活躍は短く、5年足らず。全般検査を実施する予算がなかったと云われています。車籍を失い、現在は京都鉄道博物館で静態保存中です。
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