ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 134

matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月27日 盛岡機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51134

盛岡区時代には奥中山で三重連仕業にも就いた経歴の持ち主です。

形式入りナンバープレートが風格に箔を付けている印象です。正面だけのようですが。

エプロンは両端にリブを設けたタイプ。これで煤は両側にこぼれ落ちません。その分、前に落ちやすくなるでしょうけど。

担いバネカバーの前面には、後部標識灯用の灯具掛けがありませんね。その代わり、前端梁には原設計の灯具掛けが残されています。

先輪前の排障器の形状が独特のものです。

どこで載せたのかは分かりませんが、炭水車上には重油タンクが見えます。次の配置区である門司区では不要のため下ろしたそうですが。