ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 598

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昭和42(1967)年8月19日 盛岡機関区

小樽築港区へ転属される1年前の姿になります。

炭水車上の重油タンクは3000リッターでしょうか。奥中山で気を吐いていたんでしょうね。

補助灯は東北機特有の高い位置。

 

昭和48(1973)年8月6日 小沢→銀山

稲穂トンネルからの飛び出しです。

補助灯が、北海道機の標準高さとなっています。

エプロン設置。除煙板の切り詰めは当然。

この機関車も担いバネ前面カバーの蓋は横開き。

除煙板上部ステーの形状が左右で違うように見えます。向かって、左パイプ、右平板。

この2年前に急行「ニセコ」がC62重連からDD51重連に代わり、沿線は静かな佇まいでした。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51598