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昭和42(1967)年8月19日 盛岡機関区
小樽築港区へ転属される1年前の姿になります。
炭水車上の重油タンクは3000リッターでしょうか。奥中山で気を吐いていたんでしょうね。
補助灯は東北機特有の高い位置。
昭和48(1973)年8月6日 小沢→銀山
稲穂トンネルからの飛び出しです。
補助灯が、北海道機の標準高さとなっています。
エプロン設置。除煙板の切り詰めは当然。
この機関車も担いバネ前面カバーの蓋は横開き。
除煙板上部ステーの形状が左右で違うように見えます。向かって、左パイプ、右平板。
この2年前に急行「ニセコ」がC62重連からDD51重連に代わり、沿線は静かな佇まいでした。
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