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昭和42(1967)年8月19日 盛岡機関区
腰高の補助灯が東北機らしさを醸し出しています。車歴表には書かれていませんが、一時期、尻内機関区に配置されていたようです。奥中山の三重連に活躍したのでしょうか。キャブ屋根は延長されていません。炭水車には重油タンクが装備されています。
「蒸気機関車EX Vol.53」の記事によれば、番号板の「D」の字体は盛岡工場製の特徴らしい。
排障器は垂直状のものが撤去されています。
フロントサイドの下踏段はグレーチングタイプに改造されています。
除煙板は上部でクッキリ折れていますが、原設計では半径200mmで曲げる仕様です。木型を当てて曲げていたのでしょうか。
砂撒き管は汽車會社製らしく3本平行直下タイプです。
当時は盛岡~尻内(現 八戸)の未電化区間の運用だったせいか、「架線注意」札が貼られていません。
助士席側のキャブ窓も旋回窓になっています。
車歴は↓こちら。