ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 787

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年7月17日 木曽福島機関区

前記事の通り、標準型で発注されながらも、資材不足により準戦時型の製造時期に食い込んだため、準戦時型として製造されました。製造費の差額はどうなっていたんでしょうね。

この時点で集煙装置は未搭載です。

前照灯(正式には前部標識灯であって、この時代は照明という位置づけではありません)のガラス蓋が開いていますが、シンダ受け(担いバネカバー上板)には踏み台があるので、電球を交換しているところなのでしょうか。架線下でこの作業を行うと感電するおそれがあるので、前照灯の球が切れた時には車両基地へ戻るまでは補助灯で代替しましょうということで、多くの機関車には補助灯(予備灯とか副灯とか呼び方は色々あります)が増設されましたが、地区によっては設置しないところもあり、北陸や西日本がそうでした。一方、北海道や東北、関東ではガンガン付けまくり、ファンからは敬遠されていました。

ドームに上るステップ(長野工場製の大きな手摺があるところ)ですが、通常、ボイラ上の横手摺の下に2段あるのですが、787号機では1段しかなく、大きく脚を伸ばさないと上れなさそうです。どうやら戦時設計の名残のようです。

引退後は長野県の旧駅時代の御代田(みよた)駅跡に保存され、非常に良好な状態で維持されているようです。エプロンと集煙装置はありません。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51787