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昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区
やはり、九州の機関車は美しいですね。動輪に位置合わせの白線が残っているということは、検査出場間もないということなのでしょうか。
常磐線で活躍していた頃は、LP405を装着していたようです。九州でLP403に載せ替えられたのでしょうか。
前照灯下の「架線注意」札は、この後、番号板の直上に移設されます。どうしてわざわざ。
リンゲルマン濃度計設置。
送水管カバーが半分弱だけ残されています。なんとも中途半端。
油ポンプ箱はランボードの上。だからなんで?
排障器は垂直の1段のみ。どうして2段目を撤去?
ドーム前を回り込むステップは806号機でもそうでしたが、戦時設計機同様、数が少ないような気がします。缶胴の手摺の下には2段欲しいところです。
キャブ側面の番号板は九州機らしく前方へ移設。
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