ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 687

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和43(1968)年3月17日 人吉機関区

敦賀式集煙装置と同様の鹿児島式集煙装置を搭載。矢岳越え向けの装備で、更にA型重油タンクをドーム後方に載せ、補助タンクもランボードの上に設置しています。

ドーム横の砂撒き管元栓には庇があります。人吉区所属機関車の特徴です。用途や目的は分かりませんけど。

前端梁にはスノープラウ用の固定ボルト孔がありますが、九州では使うことはなかったでしょう。

排障器は1段のみとなっています。

前回の686号機に続き、ポンプ箱はランボード上にあります。

 

昭和46(1971)年2月18日 吉松機関区

前照灯下の「架線注意」札は煤けて文字が見えません。九州の機関車でこれだけ汚れているのって珍しいかも。(北海道なら普通ですけど。)それとも剥がれ落ちてしまったのかもしれません。

エプロンが撤去され、煙室扉の蝶番の腕がリブで補強されています。

ランボードから重油タンクにかけて、梯子が設置されています。

車歴は↓こちら。

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