ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 829

田中 泰三様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和47(1972)年5月23日 秋田機関区

北海道へ渡る数か月前の姿ですが、炭水車しか見えません(泣)。

LP405、梯子状のステップ、補強された入換用のステップ、漏水管などに特徴が見られます。後部標識灯は左右で形式が異なっています。

 

昭和49(1974)年8月 稚内機関区

全国操配によるものだったのか、秋田区から青森区へ配置換えされたわずか半年後には津軽海峡を渡り北見機関区へ異動。運用期間が短いということからか、除煙板の切り詰めは実施されず、また北見区特有の三つ目となりました。

石北本線で8カ月ほど過ごすと宗谷本線を北上して稚内機関区へ。転配ではなくただの「移動」で、線路規格の関係から無火での回送だったと思われます。稚内区ではボイラー代用として活用されたようです。機関区のボイラーが故障したんでしょうかね。かつて糸崎区所属のC59 111が高松機関区へ「移動」した時もボイラー代用でした。四国だけにC59だった、ということではありません。

車歴表によれば、829号機は北見区所属のまま稚内区に留置されて廃車とあるのですが、他のブログには昭和49(1974)年7月に常紋信号場で撮影された画像が掲載されています。

https://ameblo.jp/pajero4900/entry-12465879004.html

ただのこのブログの別の記事では「昭和49年3月に廃車」とも記されているので、ちょっと怪しい気もします。

https://ameblo.jp/pajero4900/entry-12533677523.html

真相は分かりませんが、いずれにせよ道内での829号機の写真は非常に少ないようです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51829