田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年8月7日 旭川機関区
給砂塔の脇で。除煙板の切り詰めが早々に実施されています。函館本線の電化開業までもうすぐだし。フロントデッキのコの字型手摺が後方へ少々傾いているような。
昭和49(1974)年8月 旭川機関区
その7年後も給砂塔の脇で。D51828+C55+D51と三重連。コの字型手摺が垂直に修正されたように見えます。
昭和49(1974)年9月2日 旭川機関区
炭水車背面のステップ間には、入換用の手摺が増設されています。機関区内はいつも蒸機の煙に包まれていました。鼻の中は煤で黒くなったものです。
昭和50(1975)年3月21日 苗穂工場
苗穂機関区から蒸機は消えましたが、苗穂工場には各地から送られてきた蒸機が佇んでいました。旭川区で見かけた828号機はロッドを外されており、これで廃車かと思いましたが、それにしては番号板を付けたままだし機体も綺麗。
昭和50(1975)年11月 追分駅
しっかり復活していた828号機。昭和49(1974)年の頃とはキャブ付近で細部に相違がありますが、部品名とか分からないので説明はできません。昭和50(1975)年3月頃に苗穂工場で装備されたのでしょう。
この頃は組合のストが頻繁にあり、蒸機運転最終日はいつになるんだろうとやきもきさせられたものです。
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