ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1009

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和42(1967)年8月5日 深川駅

最初、どこの駅かが不明でしたが、某雑誌の「テルファ特集」の写真の中に、テルファとその奥に見える煙突のある駅舎と跨線橋の3点セットがそっくりな写真を発見し、それで深川駅と特定できました。画像右側の貨物用ホームとその側線も今では跡形もありませんし、ネットに転がっているものは平成になってからのものばかりだし、事実確認のなんと難しいことでしょう。因みにこの画像、テルファが荷を移動しているところですね。この「カゴ」も某雑誌のものと同一でした。

で、1009号機は北海道生え抜きの機関車なんですね。煙室戸回りの手摺は控えめな長さのコの字型が一か所だけ。そして流石、旭川区所属機だなあと思うのは、前端梁のステップ。よく見るのは公式側だったと思うのですが、1009号機では非公式側だけが移設してあるんですね。旭川区にはステップのこだわり職人でもいるのでしょうか。

ランボードの上には大きな清缶剤送入装置が載っています。ついでに油ポンプも載っています。

番号板は高さ方向が大きめのAD66180図によるものでしょうか。数字の窮屈さは相当なものです。せんせんきゅーきゅーって感じ?

 

昭和47(1972)年6月14日 苗穂工場

廃車から1か月半後の姿。前端梁にあったステップが、もとのサイドに戻されています。前端梁の断面がちょっと他とは違ってます。

手書き番号のヘタウマやその書いた場所によって、機関車の表情がとても変わってしまいます。1009号機では剽軽に見えます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511009

 

それにしても今日は何て日なんだ。午前中だけでバタバタして最後は詐欺電話ですよ。札幌市北区保険課とかの三浦と名乗る男から「以前送った医療費に関して、返却してもらうべき書類がまだ届いていない」とか何とか、「そんなん今まで来たことなかったけど」と言い返すと、「今年からん~たらかんたら」とか理由を話していたけど、ドタバタしていた時だったので全然頭に入んなかった。緊急の連絡先を知りたい別の電話番号を教えてというので、それは教えてしまいました。その30分ほど後、今度は別の男が固定電話にかけてきて「医療費の~金(なんて言ったのか覚えてなくて、まあ還付金といったような意味の返却金)があるので手続してもらえますか」みたいな内容。「なんで医療費が返却されるんですか?」と尋ねると「ホームページ見てみれや」といきなりの恫喝言葉。もう面倒臭くなって「あ、還付金詐欺ね、お疲れ様」といって電話を切りました。ホント面倒臭せえ。お前らの命、ウクライナガザ地区で殺された人たちに捧げろよ。一応確認のため、実際に北区役所の保険課みたいなところに電話して「三浦さんて人います?」みたいなところから、「医療費に関して、こちらから役所に返却する書類ってありました?」って確認すると、電話に対応してくれた人は「またか」みたいな口調になって「それ詐欺ですね。できれば警察の方にも届けておいて下さい」と言われて#9110にも電話しておきました。電話口の警察官に思わず「こいつら全員、「DEATH NOTE」で殺していいですか」と言ったら笑っていたけれど、顔と名前が分からないと殺せないじゃん。第一、DEATH NOTE なんて持ってるわけないし。あ~疲れた。これから病院に行ってきます。コロナに感染したみたいなんで。といっても、山は金曜日に越えて、今じゃピンピンしているんですけどね。