ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 163

全ての画像の転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年7月16日 長万部機関区

重油タンクを背負っていた時代の姿です。ドーム後部の切り欠きが少し大きいように見えます。下路式の転車台は、機関車の足回りが隠れてしまうのが残念です。

 

撮影日不明 長万部機関区

 

昭和47(1972)年6月13日 長万部機関区

車歴は↓こちら。

知る人ぞ知る、穴明き煙室扉の163号機。でも、ある雑誌の記事よると穴は貫通しておらず、二重になった裏の鋼板には穴は明いていないのだとか。「だから煙が漏れることはありません」とその記事は結んでいました。何の雑誌だったか・・・。穴の目的は煙室扉の燃焼防止のための冷却効果を狙ったものだそうです。穴をあけて表面積を多く取ることで空冷の効果を高めるのだとか。もしも車歴表にある「通気穴」だとすると、そこから真空状態近くになっている煙室内に外気が入り込み、煙管内の通気(ドラフト)が弱くなってしまって火力が弱くなり、さっぱりパワーが出ないという悲しい事態になるような気がします。この辺り、専門家の意見を聞きたいところです。

実際のところ、その効果はなかったのか、他の機関車には普及しませんでした。

前端梁に移設されたステップが、ちょっと奇妙です。前端梁に移設するのは旭川区のC55でよく見られたものですが、あちらは踏板が前方を向いていました。しかし163号機のは横向きです。構造まで変えちゃってます。ま、こちらの方が乗りやすそうな気はしますが。

保存を考えていたのか、ナンバープレートを装着したままの姿で、長万部機関区に長い事留置されていました。しかし結局は、天国へ召されてしまいました。合掌