ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様とSAMPUKU爺様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和43(1968)年5月30日 金沢運転所

長野運転所から異動して間もなくの頃になります。なので、長野スタイルのままですが、前端梁の向かって右側のステップは入換用として金沢運転所で取り付けられたものでしょうか。

集煙装置は取り外されていますが、キャブから伸びる引棒テコは残されています。集煙装置の関係で煙突は短くなっています。

金沢運転所では重油タンクを載せたまま入換をしていたのでしょうかね。

 

昭和43(1968)年11月14日 高岡機関区か

ステップ両脇に増設された手摺がものものしいです。これまで見られなかった方式ですね。

昭和44(1969)年1月25日 糸魚川機関区

金沢運転所から糸魚川区に貸し出されていました。前端梁の白V字こそありませんが、再び集煙装置を載せて長野スタイルに復帰です。キャブ下の換気装置も健在。前端梁にあった入換用のステップは撤去されています。

 

昭和44(1969)年9月14日 有間川~谷浜

日本海を背景に北陸本線を走ります。キャブの換気装置は撤去されています。更にドーム前にあった大きな門構えの手摺も撤去されています。この画像は解像度が低いので判読できませんが、区名札は「糸」です。

 

昭和47(1972)年8月26日 米子機関区

最後のお務めとなった米子機関区。集煙装置は長工式から鷹取式に載せ替えられています。番号板は盗難防止のため取付ボルトには棒鋼が溶接されています。

公式側の除煙板下方が「く」の字に切り欠かれているのは、糸魚川区から返却された後に金沢運転所で施工されたものでしょうか。

担いバネカバー前面にあった灯具掛けが消え、その両脇に別途設置されています。小振りなエプロンとともに、一体どこで取り付けられたのでしょうね。

前端梁の孔が増えています。異動するたびにあちこちイジられています。

車歴は↓こちら。

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