matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年7月6日 五稜郭機関区
おや?と思うのは、まるでナメクジD51のように、煙室戸の開閉取っ手が左右2カ所にあります。しかも心なしか、左右とも標準のものより大きく見えます。一体、414号機にはどこで何があったのでしょう。
「蒸気機関車 No.54 1978年3月号」の記事によれば、昭和20年頃、414号機は備後十日市駅(後の三次駅:芸備線)構内に迷彩色を施されて留置されていたそうです。爆撃からの避難疎開と筆者は推測していますが、重量級のD52を丙線である芸備線によくもまあ回送とはいえ走らせたものです。
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