matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年7月7日 鷲別機関区
他のD52でもそうなのですが、本州時代に旋回窓が設置されたことが不思議でなりません。積雪地域を走る訳でもないのに他にどんな理由があったのでしょう。
煙室戸の蝶番腕の補強はあったりなかったり、あってもその長さに違いがあるなど一貫していません。D51でもそうでしたが、補強の有無の基準ってあったのでしょうかね。それとも所属機関区や担当工場の方針でもあったのかな。
浜松工場担当機であり米原区や稲沢区に所属していたD52は、給水温め器のバンドが金色に磨き出されていたといいます。217号機もそうだったのでしょうか。貨物用機関車とはいえ、最強ブランドを誇示していたのかもしれません。
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