matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年6月9日 国府津機関区
前回の記事で、セノハチにおけるD52重連補機最終運用に触れましたが、その最終列車80列車の後部補機の前位が101号機です(後位は123号機)。セノハチの運用を終えた後、小郡区へ短期間だけ籍を置いたのち、国府津へやってきました。実はこの異動には深い訳があり、「蒸気機関車 No.54」の記事によれば、東海道本線の橋梁工事に伴い一部の列車を御殿場線に迂回させるためD52の増備が要請され、101号機の他に61、396号機も応援にかけつけ、迂回運転終了後、この2輌は小郡区へ戻りましたが、101号機だけはそのまま残りました。車歴表では61、396号機を「借入」と表記しているので、最初から101号機とは扱いが異なっていたことになります。因みに翌昭和41(1966)年夏には御殿場線の気動車列車を客車列車に変えるため、再度、小郡区から今度は135、224号機が国府津区へ呼ばれています。電化された山陽本線~東海道本線をD52はどのように回送されたのでしょうね。
前端梁には埋め込み式と合わせて3つの後部標識灯が装備されています。
煙室戸蝶番付近のコの字型手摺が珍しいです。いつどこで設置されたものなのか。
先輪はスポークに交換されています。
晩年はボイラ不良により復帰できぬまま廃車されました。
車歴は↓こちら。