matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。
昭和41(1966)年10月21日 柳井機関区
昭和59(1984)年に廃止された柳井機関区には、かつて山陽本線や岩徳線の貨物運用を担うD52が配置されていました。この地域(広島鉄道管理局、後の中国支社)には広島第一機関区、小郡機関区、瀬野機関区が存在し、山陽本線電化前にはいずれもD52が配備されていました。
エプロンの形状や前端梁に埋め込まれた後部標識灯に広島工場担当機の特徴が確認できます。煙室戸の番号板は、かなり高い位置にあり、ちょっと剽軽な印象です。
昭和39(1964)年6月までは、セノハチの補機運用が有名で(その後はEF59が担当)、旅客列車は単機で、貨物列車は重連で後押ししていました。非電化時代、同区間ではC59やC62の姿も見られましたが、セノハチに限って云えばD52の存在感の方が大きく、走行中の解放や単機三重連、四重連といった姿もファンを痺れさせていたことでしょう。75号機(広島第一機関区)は、昭和39(1964)年6月30日、最後のD52重連補機となる幡生操車場発、新鶴見操車場行80列車の先頭に立ったといいます。
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