ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D61 2

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D61 2は元D51 555。

D51 555の車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51555

昭和42(1967)年8月7日 留萠機関支区

国鉄蒸機、最後の形式となったD61。通常、形式番号は新製登場順から割り当てられるものですが、従台車2軸化改造された制式機関車は、タネ車の形式と関連付けるために60番代としてその1桁をタネ車と同じ番号にしています。つまりD50→D60D51→D61、D52→D62、D51→C61、D52→C62といった具合。しかし何事にも例外はあるもので、C60だけはC59C69とはならずに空き番であった60を与えられましたし、図面だけに終わった幻の機関車C63も例外と云えるでしょう。もしもC53が戦後もしばらく生き永らえていて、乙線向けに従台車2軸化改造されていたら、C63となっていたかもしれませんね。因みに従台車2軸改造車の登場順はC61、C62、D62、D60、D61となっています。

 

昭和42(1967)年8月7日 深川駅

前照灯部にはツララ切りが設置されており、深川区所属機のトレードマークとなっています。除煙板はまだ切り詰めされていませんが、翌年にはカットされてしまいます。

顔だけ見るとD51そのものなので、1桁番号なのにナメクジでないことに、胆振縦貫鉄道や樺太向け・台湾向けのD51のような印象を持ってしまいます。

この4年後には映画製作のために梅小路区へ行ってます。(勿論、帰還します。)2号機としては、道外を走った唯一のことだったでしょう。

深川駅のテルハや留置されるセキ車に、当時の活況ぶりが伝わってきます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D61/D612