ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D61 4

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

D61 4は元D51 224。

D51 224の車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51224

昭和42(1967)年8月7日 留萠機関支区

除煙板が切り詰めされる前の姿。回転式火の粉止めはちょっと厚目のように見えます。

D60では先輪がディスクタイプでしたが、D61ではタネ車そのままにスポークタイプが使用されています。深川機関区にはD51 4が居たので、もしかすると4号機同士のD51とD61の並びを撮影しているファンがいるかもしれませんね。

留萠機関支区には行ったことがありませんが、それなりの規模で機関区としての機能を有していたようです。

 

構図に収まっていないだけの問題かもしれませんが、タネ車の小型番号板は付いていたのでしょうか。改造車の場合、大体付けています。

昭和48(1973)年11月26日 深川機関区

入換手用の手摺を兼ねてか、ステップには縦の部材が溶接されています。炭水車の形式板には「8-20B」とはっきり読めます。外しているケースが多かったですね。

 

昭和49(1974)年8月 深川駅

当時はこれでも良かったのかな、入換手の服装。今ならヘルメット着用、そして作業衣。でも腕章はしていますね。入換手を表すものでしょうか。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D61/D614

 

最近、毎日のように国税局を騙る詐欺メールが届きます。「このメールの有効期限は3月〇日」と記してあり、とっくに過ぎてんじゃんか。うざいうざいうざい。

昨日、ヤフオクで落としたビデオカメラが届き、早速札沼線で試し撮り。ベータカム以来、20年以上ぶりのちょっと大型気味のカメラですが、ベータカムほど重くはありません。シネマ用を謳うこの手のカメラは別売りの付属品を多数買い揃えないと撮影できませんが、出品されたものは撮影に必要なものが一式揃っており、またバッテリーも充電済だったので、すぐに撮影できる状態でした。用事を済ませた後、天気が良かったので太美のいつもの場所へ向かいます。しかし途中から小雨が降り出し、現場に到着した頃には雪に変わり、車のハッチバックを屋根代わりにしての撮影でした。ベータカムの後は、ずっとハンドヘルドのカメラばかりを使い、その小型軽量に馴染んでおりましたが、やはりこの大きさと重さは、レンズのズーミングのし易さもあって、非常に使いやすいです。でも今の体力では、このカメラと三脚を担いで銀山の山に登るのはもう無理っぽいです。