ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D61 1

江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

D61 1は元D51 640。

D51 640の車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51640

昭和48(1973)年3月 苗穂工場

D60同様に、乙線用のD51を軸重軽減により丙線にも入線できるように改造したのがD61で、外観的特徴は従台車が1軸から2軸へ変更されたこと。老朽化した9600の置き換えなどを目的としたD60の増備は、D50の老朽化が進んでいたため困難な状況となり、そこでD51に白羽の矢が立ち、D61誕生と相成りました。しかし当時、D51は引っ張りだこな状態で改造に回せる余剰車がなかったことや、その後、DD51が開発されたことで増備の必要がなくなったことで、わずか6輌のみの小所帯となっています。全機、深川機関区に配置され、D51との共通運用で留萌本線や羽幌本線での運用にあたりました。D51との共通運用ならD61の立場が全然ないですね。軸重が軽く、D60のようにシリンダ径を縮小することもなかったので空転が発生しやすい欠点だけが乗務員にのしかかったような気がします。2軸従台車で乗り心地は改善されたかもしれませんが。

残念ながら1号機の現役の写真は手元には無く、廃車後、苗穂工場に留置されている姿を江別の鐵様と私が時期をずらして撮影しています。江別の鐵様、がっつり工場構内で撮影していますね。

1号機は中央西線関西本線で数か月間試用された後、渡道し深川区に配置されています。そこでキャブは密閉化されました。キャブ側面には「46.8.31 深川機関区出」と書かれています。

 

昭和49(1974)年10月6日 苗穂工場

江別の鐵様の撮影から1年半後、留置場所は職員用跨線橋の下から機関区寄りに移動しています。煙室戸の白ペンキ文字はかすれています。白差しは現役時代に施されたもので、赤い番号板と相まってお洒落な機関車でした。廃車から3年も経過しているのに留置されていたということは、1号機ということで保存が考えられていたのかもしれませんが、結局は解体されてしまいました。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D61/D611