田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。
D51 205の車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D51205
昭和42(1967)年8月7日 留萠機関支区
除煙板は切り詰め前で、点検口は大きめです。補助灯は未設置で、北海道機らしさは密閉キャブくらいなものでしょうか。
昭和47(1972)年6月14日 深川機関区
番号板はそのままながらツララ切りやロッド類が外され、機関区の片隅で休車状態のようです。赤ハチマキの連中いによる煙室戸の落書きの跡が悲しいです。キャブ側面に、タネ車であるD51のミニ番号板はありません。
昭和48(1973)年3月 苗穂工場
書類上は廃車の直後。D52の後ろに連結されて解体の順番待ちです。
昭和48(1973)年4月29日 苗穂工場(再掲)
https://railway-photo.hatenablog.com/entry/36388977
解体場に異動し、解体直前の様子。已むに已まれず、その辺に居た作業員に写真を撮らせてくれと頼みこんで中に入れてもらいました。前方ではD52の解体作業中です。
D61では5号機だけ炭水車は8-20A形式です。D51ではナメクジと初期の標準型がこの形式の炭水車を従えていましたが、何故か初期車ではない浜松工場製の199~210号機と鷹取工場製の211号機も同様でした。
炭水車背面のステップが独特の形状です。
炭水車連結器に書かれた「T入」とはどういう意味なのでしょう。
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