ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

鶴見線

その日ではないようですが、相鉄こと相模鉄道希望ヶ丘駅のホームです。

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海老名方面へ向かう回送列車

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横浜行きに乗って横浜へ出ます。朝晩の一部を除き、すべて急行列車なので表定速度結構速いです。

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相鉄の横浜駅
駅ホームはビルの中にあるので、真昼でも暗い感じがします。大都会では珍しくない構造でしょうが、田舎出身者にはとても新鮮に見えます。が、暗い。
ここから京浜東北線に乗り換えて鶴見へ出ます。

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武蔵白石駅 クモハ12052 両端で顔が異なります。
もともとは片運転台のモハ11で、貫通扉のある側に運転台を増設してクモハ12となりました。
この当時は通称 大川支線(武蔵白石~大川)のみで運用されており、数年後に日中に限り本線でも運用されるようになりました。武蔵白石駅のホームのカーブがきつく、20m級の101系などが入線できないために、17m級のクモハ12が残されたと聞いています。今はこのホーム、撤去されて無くなり、隣の安善駅から接続するようになりました。

本線のホームに移動します。
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安善方面からタンク貨物がやってきました。

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おそらく南武線浜川崎駅寄りの踏切ではないかと思います。鶴見線浜川崎駅は右手後方にあります。EF15も入線していました。

工業地帯の中の路線に接するのは初めてなので、何もかもが新鮮に見えます。貨物に活気があり、わくわくする一方で、ごちゃごちゃし過ぎていて、何とも捉えどころがないようにも感じました。田舎者にはハードルが高そうです。

昭和56(1981)年4月18日か?