ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

肥前大浦~多良

肥前大浦駅を出て、どこどう歩いたのか既に記憶にありませんが、途中からは線路端を歩いていったのは間違いありません。当時は黙認される時代でしたし・・・。

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8:59 多良←肥前大浦 334M
両端とも食パン。通常だと最後尾はクハ715-0なのですが、全部で12編成のうち、最後の2編成は種車のクハネ581が不足したため、サハネ581を改造したクハ714-0が充当されました。

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9:26 多良→肥前大浦 かもめ3号
もはや、どの場所かは特定できません。以下、撮影場所と列車の進行方向は省略します。

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9:35 335M
単線ながらも長崎本線という本線に相応しく、結構な頻度で列車が通過してゆきます。

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9:47 かもめ6号

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10:27~29 かもめ8号
さすが、L特急だけあって、「かもめ6号」から40分後に「かもめ8号」が通過してゆきました。「かもめ」は博多~肥前山口間を「みどり」と併結運転を行っていました。

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11:00 さくら
7月19日から個室寝台のカルテット(オハネ14-700)を連結しましたが、この長崎編成のみで、佐世保編成には組み込まれませんでした。佐世保編成には食堂車もありませんでした。

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11:20 みずほ
「みずほ」では熊本編成に「カルテット」も食堂車も持っていかれ、長崎編成はB寝台のみのモノクラス編成でした。

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里 停留所
他に貨物列車も撮影しているのですが、スキャンしていないので割愛させていただきました。すぐ近くには祐徳バスの停留所があったので、肥前大浦駅にはこのバスを使って戻りました。バス停には両隣りのバス停が表示されているのがありがたいです。海岸沿いのバス停って、何かドラマの舞台になりそう。ストリートビューを見ると、今は待合室はないようです。

昭和59(1984)年7月27日