ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

荻野から次の撮影地へ

尾登~荻野間で一通りの撮影を終え、次の撮影地へ向かいます。

f:id:railway-photo:20191029075458j:plain

荻野駅

湿った雪だけに、駅前は舗装が剥き出しです。ガチガチだった雪山は程よいお立ち台になることもありますが、もうこの時期には緩んでしまってズボズボと脚が埋まります。

f:id:railway-photo:20191029075509j:plain

10:55 臨時の上り列車が通過してゆきました。

荻野駅は、駅舎は建て替えられていましたが、ホームは旧来のいい雰囲気を醸し出していました。

 

f:id:railway-photo:20191029075636j:plain

f:id:railway-photo:20191029075649j:plain

11:31 快速「あがの」

下りの快速列車が到着です。ここで1226列車と行き違いのため、少々停車します。

 

f:id:railway-photo:20191029075715j:plain

11:33 快速「あがの」・1226列車

郡山行きの1226列車に乗車します。行き先サボ、駅名標、列車をみんな画面に押し込みます。

ここには8年後にビデオ撮影で再訪しますが、客車列車はそのまま残っていたものの、気動車はキハ40系とキハ110系に代わっており、国鉄時代が徐々に遠のいていることを実感するのでありました。

 

f:id:railway-photo:20191029075747j:plain

暖房の利いた車内は空いており、しばし鈍行の旅を楽しみます。

 

f:id:railway-photo:20191029075810j:plain

会津若松駅 12:13着、12:40発

27分間停車し、その間に機関車はDD51からED77に交換されます。ED75、ED76-500、ED77、ED78と、みな同じ顔をしています。ED71、ED72、ED73のような個性的な顔だったら、もっと興味が持てたのに・・・と勝手な思いを抱きつつカメラを構えていました。

 

f:id:railway-photo:20191029075921j:plain

12:41発 229列車 DD51 759

すでに旧客はありませんが、50系であろうと客車列車はやっぱりいいなあと改めて認識します。

 

f:id:railway-photo:20191029081110j:plain

13:25 関都駅 1226列車

そして目的地の関都に到着です。

 

f:id:railway-photo:20191029081233j:plain

13:35 2229D

会津若松行きの普通列車をホームで撮ってから駅を出ました。電化区間しか走らない気動車列車は、千歳線電化前の函館本線には何本も走っていましたが、磐越西線内ではこの列車が唯一でした。

 

昭和62(1987)年3月1日

尾登へ

会津若松駅前のビジネスホテルに一泊し、この日に向かった先は磐越西線尾登駅でした。駅からほど近く、阿賀川に架かる橋が狙い目で、前日の只見線に引き続き、鉄道と鉄橋シリーズの第二弾。なんじゃそれ。

f:id:railway-photo:20191028071738j:plain

f:id:railway-photo:20191028071807j:plain

会津若松駅 05:30発 新潟行き普通列車221D

まだ真っ暗な未明。北海道では見ないキハ47に乗車します。キハ45の後継機という風情です。キハ47の両運転台版としてキハ41の計画もあったそうですが、JR西日本がキハ47を改造してキハ41を実現してしまいましたね。ただ増設された運転台の顔が、まあ何とも、シブチンなJR西日本らしいデザインというか・・・。

 

f:id:railway-photo:20191028072119j:plain

06:19 尾登駅 221D

乗車してきた列車を見送ります。ここもなかなかの積雪量です。この列車は次の野沢駅で222列車と行き違います。その222列車を尾登駅で迎えます。下手に移動しても撮影できる場所があるかどうか分かりませんので。

 

f:id:railway-photo:20191028072357j:plain

f:id:railway-photo:20191028072409j:plain

06:34 尾登駅→荻野 222列車

荻野寄りの踏切から撮りました。ちょっとでも、目指す撮影地へ近づいておきます。

さて、県道16号線を荻野方面に向かいます。

f:id:railway-photo:20191028072629j:plain

07:51 荻野→尾登 223列車

尾登駅では薄日が差していたのに、列車を待っている間に雲の中に隠れてしまいました。おまけに風が出てきて、せっかくの水鏡もかき消されてしまいましたよ。とほほ。

f:id:railway-photo:20191028073140j:plain

到着した時はこんな感じでした。なのに、無慈悲だ。

 

f:id:railway-photo:20191028072710j:plain

08:24 尾登→荻野 224列車

でも今度は水鏡成功。少し移動しての撮影です。

 

f:id:railway-photo:20191028073657j:plain

f:id:railway-photo:20191028073710j:plain

08:48 尾登←荻野 1225列車

もうちょっと背が欲しいです。3mくらいあれば十分です。

この列車は郡山から新潟まで、5時間23分をかけて完走します。

 

f:id:railway-photo:20191028073832j:plain

途中、こんな史跡がありました。磐越東線夏井駅近くが小野小町の生まれた場所らしいですが、こちらは没した場所だとか。昔の人は本当によく歩きました。

 

f:id:railway-photo:20191028074438j:plain

10:04 尾登→荻野 快速「あがの」

客車列車ばかり見ていたので、気動車が新鮮に見えたりして。新潟発、郡山行きですが、この列車の所要時間は3時間38分。

 

f:id:railway-photo:20191028074542j:plain

f:id:railway-photo:20191028074552j:plain

10:09 尾登←荻野 227列車

白壁の蔵が北海道人の目には新鮮に見えます。映画やドラマの世界のようです。目的の撮影を終えて、さあ、荻野駅までもう少しです。

 

昭和62(1987)年3月1日

失意と決意の会津檜原

何ともスッキリしない気分のまま会津若松行きの432Dに乗車し、会津蒲生(あいづがもう)駅を後にしました。目的地は会津檜原(あいづひのはら)駅近くに架かる只見川第一橋梁です。八つの只見川橋梁のうち、この日は両端を攻めるわけです。会津檜原までに、その全てを渡ります。下路トラス橋である第八、五、四橋梁、上路トラス橋の第七、六、三、二橋梁、それと唯一の上路アーチ橋である第一橋梁。

第五橋梁を渡ると、ほどなくして会津川口駅に到着します。ここで列車の行き違いを行います。

f:id:railway-photo:20191027072836j:plain

先に対向の429Dが到着しておりました。

会津」をローマ字入力するには「AIZU」ではなく「AIDU」と打たねばなりませんね。

 

f:id:railway-photo:20191027072850j:plain

14:21 会津川口駅 432D・429D

ホームは結構賑わっていました。

 

f:id:railway-photo:20191027073051j:plain

駅は川っぺりにあります。

 

f:id:railway-photo:20191027072921j:plain

14:24 429D(432Dより)

一足先に下り列車が発車してゆきました。

 

会津西方を発車して間もなくトンネルに入ります。そこを抜けると第一橋梁で只見川を大きく跨ぎます。なかなかの絶景ですが、ロケする間もないうちに橋を渡りきるとすぐまたトンネルに入り、抜けたところが会津檜原駅でした。

f:id:railway-photo:20191027073403j:plain

15:06 会津檜原駅 432D

 

f:id:railway-photo:20191027073506j:plain

f:id:railway-photo:20191027073519j:plain

「檜」という旧字体は、当時の時刻表でも使われていましたが、今の時刻表では「桧」になっています。旧字は画数が多くて書くのは面倒ですが、嫌いではありません。台湾では今でも日本でいう所の旧字体を使っています。もっとも「台湾」を旧字体で書くと「臺灣」ですが、実際には「台湾」が普及しているので、全てが旧字体というわけではなさそうです。

さて、第一橋梁は旧道から簡単に見える筈です。車窓からは確認できませんでしたが、C11が走っていた頃の写真で見たことがあります。そう安易に考えていたのですが、集落を過ぎた先は除雪されていないではありませんか。肝心の道路がこれでは・・・でもまあ、雪をこいで行けないこともなく、というか行くしかありませんので、ズボズボと雪に埋まりながら先へ進みました。鬱蒼とした林の中では、時折吹いて来る風の音以外、聞こえるのは自分の荒い息と雪を踏む音だけ。少し歩いては後ろを振り返り、まだこんなちょっとしか歩いていないのかと荒い息に溜息が混じります。そうこうしているうちに、林の先に橋の一部が見えました。こうなると俄然、ファイトがみなぎります。そんな時、エンジン音が聞こえてきたので、慌ててカメラを構えました。

f:id:railway-photo:20191027081029j:plain

16:30 会津西方会津檜原 ハイモ

見えた、というだけのことで、列車撮影にはもっと見晴らしの良い場所に出ねばなりません。しかし、橋が見えそうなポイントまではまだ距離があることを地図で確認すると、何だかもうすっかり気持ちが萎えてしまいました。なんでこんな季節に来てしまったのだろう、などとうらめしい思いで先の方をよ~く見ると、何だか様子が変です。百メートルほど先に見える橋桁らしい付近で道路が崩れているように見えるのです。こりゃダメだ。はい、Uターン。

さて、そうなると、少しでも橋が見えるところで写すしかありません。で、結局、

f:id:railway-photo:20191027081527j:plain

17:15 会津西方会津檜原 433D

こんなんしか撮れませんでした。でもそのお陰で、もう一度出直して今度こそちゃんと撮っちゃるわいという思いがこみ上げてくるのでした。そして実際、この年の秋にリベンジを果たすのでありました。

 

f:id:railway-photo:20191027085246j:plain

これはベータカムで撮影した静止画。最後に只見線を訪れた時のものです。(平成7(1995)年2月7日)

35mm、645、Hi8、そしてベータカムと、その時々で自分が所有する最高機材を使って撮影したくなるほど、ここはお気に入りでした。

 

昭和62(1987)年2月28日

時刻表はちゃんとみよう

視界不良のため、いささか消化不良な気分で423Dを撮り終え、同じ場所で次の列車を待つことにします。汗をかいたままじっとしていると体が冷えてきますから、付近を徘徊し、発散する熱で汗を乾かします。その場所は開けた感じからすると、どうやら畑のようでした。その雪原を足跡だらけにするほど歩き回っていると、何やら遠くからエンジン音が聞こえてきました。おんや?まさかと思ってカメラを構えていると、果たしてラッセル車でした。

f:id:railway-photo:20191026074142j:plain

f:id:railway-photo:20191026074202j:plain

09:10 会津蒲生→会津塩沢 雪列車

あらま。DD15ではなく、DE15が来ましたよ。でもまあ、何か得した気分になり、次の列車までだいぶ時間がありましたが、気長に待つことにします。で、その次の列車というのが急行「奥只見」なのでした。賢明な方ならご存知でしょうが、この列車、冬期間は運休なのです。その列車をひたすら待っていたのです。けれども通過予定時刻を過ぎても来ません。当たり前です。でも待ち続けました。するとエンジン音が。来た~~~。

f:id:railway-photo:20191026080625j:plain

f:id:railway-photo:20191026080636j:plain

10:40 会津蒲生→会津塩沢 ハイモ

あら、ハイモ。身なりはちっちゃいけれども、先ほどのDE15より豪快に雪を跳ね飛ばしています。やたら時間をかけて念入りに排雪を行っていました。

更に待ちました。この期に及んでも、まだ現実を分かっていません。そのおよそ50分後、今度は会津塩沢方面からエンジン音が聞こえて、またしてもハイモでした。先ほどのが戻って来たのでしょうか。もういい加減に業を煮やして、撤収することにします。とうとうこの日、「奥只見」の運休には気づかぬままでした。

さて、50分かけて登った丘を5分で降り、お隣の会津蒲生駅まで行くことにします。食料がなかったので、途中で調達しようと思ったのです。残念ながら会津塩沢駅付近には店がありませんでした。この辺りは移動販売車が走っていました。

会津蒲生駅へ向かう途中、期待通りにお店がありました。古い造りでおばちゃんが算盤で勘定する、いかにも昔風な感じです。パンと牛乳を買うのですが、日付を見て少々ビビりました。日付まで昔じゃなくていいのに、流石に1か月前の牛乳はきついっしょ。一番新しい日付でも1週間前でしたが、空腹には変えられないので牛乳とパン2個を買いました。今の時期、少しくらいの期限オーバーなら大丈夫だべ。

会津蒲生駅に到着し、早速腹ごなし。牛乳は大丈夫そう、1個目のパンも大丈夫。まあ、こんなもんかなと少し気を緩めて2個目のカレーパンに噛り付くと、グヒッ。こちらは明らかに味がおかしい。ダメだこりゃ、とばかりに吐き捨てました。

f:id:railway-photo:20191026083715j:plain

f:id:railway-photo:20191026083726j:plain

傷んだカレーパンを食いかけてしまった思い出の待合室。

 

f:id:railway-photo:20191026083803j:plain

13:39 只見→会津蒲生駅 432D

雪が盛大に降り出してきました。よもや途中でお腹が痛くなるなんてことはないよな、などと云う不安を抱えながら、次の撮影地へ向かいます。

 

昭和62(1987)年2月28日

お先真っ白

会津塩沢駅に到着すると雪は止んでおり、風景はくっきりしゃっきり。これは何だかいい予感。

f:id:railway-photo:20191025071115j:plain

f:id:railway-photo:20191025071126j:plain

f:id:railway-photo:20191025071136j:plain

気分がいいと気持ちに余裕ができて、駅の様子を何枚か撮影してから現地へGO!

 

f:id:railway-photo:20191025071223j:plain

蒲生岳を背景にした只見川第八橋梁。川は渡らずに、険しい山から身を避けるように川に沿って線路は走ります。国道252号線の橋梁からの光景は、これはこれで十分絵になるのですが、あまりにも楽して撮るのはイケナイと思い、列車が来るまでまだ1時間ほどもあったので、少し場所を探すことにしました。

 

川を渡り切った先、今は覆道となっている場所だと思いますが、小高い場所があったので、そこへ登ってみることにしました。がしかし、道路から一歩脇へ踏み出したところで、足がズッポリと雪の中へ。この当時、雪のシーズンには専らスノトレを履いていました。これだと、外観はスポーツシューズなので日中、都会を歩いていても恥ずかしくはないし、何より軽いのがありがたい。カンジキは使ったことがなく、ズッポリ埋るのは長靴でも同じだから、それならば軽いスノトレがいいじゃん、という理屈。そして足が冷たくなることはありません。それにしても若いというのは素晴らしい。ズッポリにひるむことなく、むしろ意地になって前へ進みます。さて、斜面。よ~く見ると、結構急です。でも、雪を踏み固めながら進めば何とかなるべ。とりあえず荷物は置いて、四つん這いになって手で上の雪を足元に掻きだし、それを足で踏み固めながらちょっとずつ上がります。案外さらさらなので、足元の雪は思ったほど固まらず、たまにずずずっと滑り落ちたりします。少し上がっては荷物を引き上げの繰り返し。途中、木の枝や幹に掴まりながらも思いのほか苦戦し、そうこうするうちに列車の時間が差し迫ってきます。やっべ~。何とか上に這い上がったところで下り列車のタイフォンの音。急いでカメラをバッグから取り出して露出合わせ・・・をしようと思ったら、眼鏡が汗まみれで視界は滲んでおりよく見えません。眼鏡を外してファインダーを覗くと、今度はファインダーが汗でみるみる曇って真っ白に。ああ、もうだめぽ

f:id:railway-photo:20191025073712j:plain

f:id:railway-photo:20191025073751j:plain

f:id:railway-photo:20191025073725j:plain

f:id:railway-photo:20191025073819j:plain

08:41~42 会津蒲生←会津塩沢 423D

2台のカメラで撮影した写真を交互に載せています。ファインダーは汗で曇ってお先真っ白、しかも裸眼で視界はぼんやり(視度調整可能なファインダーながらも調整する時間無し)、そんな状態ながら、よくぞここまで撮ったものだと、仕上がったポジを見て自画自賛したのでありました。ね、わりかし普通に撮れてるでしょ。

 

昭和62(1987)年2月28日

会津塩沢へ

小出から入るということで、最初の撮影地は只見川第八橋梁。川を渡らないトラス橋です。最寄りの駅は会津塩沢駅になります。

f:id:railway-photo:20191024074439j:plain

05:45頃 小出駅 雪列車 DD15

この辺りではおそらく毎日運転されているのでしょう。

 

f:id:railway-photo:20191024074527j:plain

f:id:railway-photo:20191024074542j:plain

426D

f:id:railway-photo:20191024074603j:plain

3両編成ながら車内はガラガラ。中間のキハ58 547に乗車しました。

夜明けと共に、沿線の豪雪ぶりが明らかになってきます。

 

f:id:railway-photo:20191024074854j:plain

f:id:railway-photo:20191024074908j:plain

f:id:railway-photo:20191024074921j:plain

06:44 大白川駅 421D・426D

下り列車と交換。この先の六十里越トンネルの開通により大白川と只見とが結ばれ、晴れて只見線は全通しました。時の通産商業大臣は田中角栄氏。予算を通したのは大蔵大臣時代の同氏。地元には多大な貢献をした人だったんだけどな。

それにしても、いたるところに雪がこんもり積もっています。ホームの除雪作業も半端ないでしょうね。

 

f:id:railway-photo:20191024080547j:plain

07:17 只見駅 雪列車

只見駅では、今度はラッセル車と行き違いました。DD15 42でした。

 

f:id:railway-photo:20191024080825j:plain

07:32 会津塩沢駅 426D

そして到着。列車を見送ります。なかなか容赦なく雪は積もっています。臆することなく、第八橋梁へ向かいますか。

 

昭和62(1987)年2月28日

小出へ

国鉄解体まで残り1か月となって、何でか無性に只見線へ行きたくなりました。初訪問なので地理は全くの不案内。地図を睨んで、只見川に架かる八つの橋梁を中心として撮影に取り組むのが無難そうです。

起点の会津若松、終点の小出、さてどちらから入るのがいいのか。効率よく、一番列車に乗るのがベストなのですが、時刻表をめくると、ちょうどこの時期、小出行きの臨時列車が深夜便で運行されていました。これならば、小出発05:48の一番列車に乗車できます。

f:id:railway-photo:20191023072451j:plain

f:id:railway-photo:20191023072508j:plain

上野駅

臨時急行「小出スキー号」は上野発22:39、終点の小出到着は03:10。

列車愛称名にふさわしく、乗客のほとんどがスキー客で、仲間たちと楽しげに乗車する様に、ちょっと肩身の狭い思いをしてしまいます。

 

f:id:railway-photo:20191023073645j:plain

隣のホームには臨時急行「スキートレイン猪苗代」が入線。「シュプール号」花盛りな時代、他にも各種スキー列車が運転されていました。

大勢のスキー客を乗せて、列車は北を目指します。

f:id:railway-photo:20191023073923j:plain

f:id:railway-photo:20191023073940j:plain

越後湯沢駅

この駅で自分以外の乗客は全員、下車しました。真夜中なのに、どこへ行く?って感じです。

 

f:id:railway-photo:20191023074110j:plain

あれだけ賑やかだった車内は一気に回送状態となってしまいました。6両編成に乗客は自分だけ。貸し切り状態💛などと喜んではいられません。これはこれで結構心細いものです。本当に回送列車で、このまま車両基地へ連れていかれたらどうしよう・・・とか。

出張先で初めて乗った路線バスで、終点とも分からずにそのまま乗っていて、危うく車庫まで連れていかれそうになったことはあります。その時には運転手さんが最寄の停留所で止めてくれ、乗り継ぐバスを教えてくれたので、遅刻せずに済みました。

 

f:id:railway-photo:20191023074234j:plain

f:id:railway-photo:20191023074250j:plain

小出駅

03:10、たった一人きりで終点の小出駅に到着。駅舎内には明かりが灯り、ホッとします。05:48発の会津若松行きまで2時間半、駅前は暗く、することもないので、ベンチで仮眠をとって待つことにします。

 

昭和62(1987)年2月27~28日