ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

失意と決意の会津檜原

何ともスッキリしない気分のまま会津若松行きの432Dに乗車し、会津蒲生(あいづがもう)駅を後にしました。目的地は会津檜原(あいづひのはら)駅近くに架かる只見川第一橋梁です。八つの只見川橋梁のうち、この日は両端を攻めるわけです。会津檜原までに、その全てを渡ります。下路トラス橋である第八、五、四橋梁、上路トラス橋の第七、六、三、二橋梁、それと唯一の上路アーチ橋である第一橋梁。

第五橋梁を渡ると、ほどなくして会津川口駅に到着します。ここで列車の行き違いを行います。

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先に対向の429Dが到着しておりました。

会津」をローマ字入力するには「AIZU」ではなく「AIDU」と打たねばなりませんね。

 

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14:21 会津川口駅 432D・429D

ホームは結構賑わっていました。

 

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駅は川っぺりにあります。

 

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14:24 429D(432Dより)

一足先に下り列車が発車してゆきました。

 

会津西方を発車して間もなくトンネルに入ります。そこを抜けると第一橋梁で只見川を大きく跨ぎます。なかなかの絶景ですが、ロケする間もないうちに橋を渡りきるとすぐまたトンネルに入り、抜けたところが会津檜原駅でした。

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15:06 会津檜原駅 432D

 

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「檜」という旧字体は、当時の時刻表でも使われていましたが、今の時刻表では「桧」になっています。旧字は画数が多くて書くのは面倒ですが、嫌いではありません。台湾では今でも日本でいう所の旧字体を使っています。もっとも「台湾」を旧字体で書くと「臺灣」ですが、実際には「台湾」が普及しているので、全てが旧字体というわけではなさそうです。

さて、第一橋梁は旧道から簡単に見える筈です。車窓からは確認できませんでしたが、C11が走っていた頃の写真で見たことがあります。そう安易に考えていたのですが、集落を過ぎた先は除雪されていないではありませんか。肝心の道路がこれでは・・・でもまあ、雪をこいで行けないこともなく、というか行くしかありませんので、ズボズボと雪に埋まりながら先へ進みました。鬱蒼とした林の中では、時折吹いて来る風の音以外、聞こえるのは自分の荒い息と雪を踏む音だけ。少し歩いては後ろを振り返り、まだこんなちょっとしか歩いていないのかと荒い息に溜息が混じります。そうこうしているうちに、林の先に橋の一部が見えました。こうなると俄然、ファイトがみなぎります。そんな時、エンジン音が聞こえてきたので、慌ててカメラを構えました。

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16:30 会津西方会津檜原 ハイモ

見えた、というだけのことで、列車撮影にはもっと見晴らしの良い場所に出ねばなりません。しかし、橋が見えそうなポイントまではまだ距離があることを地図で確認すると、何だかもうすっかり気持ちが萎えてしまいました。なんでこんな季節に来てしまったのだろう、などとうらめしい思いで先の方をよ~く見ると、何だか様子が変です。百メートルほど先に見える橋桁らしい付近で道路が崩れているように見えるのです。こりゃダメだ。はい、Uターン。

さて、そうなると、少しでも橋が見えるところで写すしかありません。で、結局、

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17:15 会津西方会津檜原 433D

こんなんしか撮れませんでした。でもそのお陰で、もう一度出直して今度こそちゃんと撮っちゃるわいという思いがこみ上げてくるのでした。そして実際、この年の秋にリベンジを果たすのでありました。

 

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これはベータカムで撮影した静止画。最後に只見線を訪れた時のものです。(平成7(1995)年2月7日)

35mm、645、Hi8、そしてベータカムと、その時々で自分が所有する最高機材を使って撮影したくなるほど、ここはお気に入りでした。

 

昭和62(1987)年2月28日