ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

根府川の白糸川橋梁

古くからの有名撮影地である根府川駅のすぐ隣に架かる白糸川橋梁。関東大震災による山崩れで、橋梁や駅や列車が土砂に流され、多くの人が犠牲になったという悲しい過去がありますが、撮影当時はそんな事などつゆ知らず、ミカン畑の道路から、のほほんと撮影を楽しむだけでした。

今回の画像もしっかり黄変してます。

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12:45 踊り子51号

この10月1日から運転を開始したL特急「踊り子」。その列車愛称名には賛否両論がありちょっとした騒ぎとなりました。川端康成の小説「伊豆の踊子」に由来する愛称名ですが、中には別のイメージを描いて異論を唱えた人も少なからずいたとかいないとか。結局は、何だかんだで今でも健在な列車名です。

 

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12:49 踊り子8号

「踊り子」には185系と183系が充当されました。183系はそれまで「あまぎ」として運転されていたので、列車名を変えての運転となります。また、急行「伊豆」が廃止されたことで、185系とともにその運用に就いていた153系の運用は減少しました。

 

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12:55 525M

 まだ青々としているミカンを入れて。

 

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13:23 下り貨物列車 EF65 65

 ワムハチが連なる貨物列車ですが、紙輸送でしょうか。

 

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13:25 下り貨物列車 EF65 6

一方こちらにはトラが連なります。車扱い貨物が実に新鮮に見えます。

 

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13:44 踊り子13号・踊り子10号

 橋梁上でのすれ違いは見ものですが、なかなか「ここぞ」という位置ではすれ違ってくれません。

 

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14:01 下り荷物列車 EF58 166

EF58牽引の荷物列車もよく走っていました。旧型車は数を減らし、貨車のような荷物車が目立つようになりました。

 

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14:04 777M

 少し前の急行列車といえば153系。準急「東海」(東京~大垣・名古屋)でデビューしたことから「東海形」と呼ばれていますが、開発当時は国鉄部内で「新湘南型」というコードネームが命名されていたそうです。153系の高運転台は、その後の一般形、急行形電車の標準形となりました。

 

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14:08 上り単機 EF65 1074

ぼっち運用。

 

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14:12 8525M

伊豆急下田行きの臨時快速列車。

 

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14:16 下り荷物電車

小目玉のクモユニ74。旧型国電からの改造車。

郵便・荷物電車は、営業電車に併結されるほか、単独での運用もありました。

 

調子に乗り過ぎてアップできる写真の容量をだいぶ食ってしまいましたので、この先は次回へ回します。

 

昭和56(1981)年10月4日 根府川~真鶴

 

「#検察庁法改正案に抗議します」なるハッシュタグツイッター上であっという間に500万を越え、その後間もなく300万ほどが削除されるという珍現象が発生。不思議なのは、通常は政治に口を出さない芸能界などの著名人が多数(といってもどれほどいるのかは不明)投稿したこと。女優の裕木奈江氏によれば、福島瑞穂とその事実上の夫である海渡雄一が仕掛け人だと指摘している。単なる検察官の定年延長法案を、三権分立を破壊するような悪法だとフェイクを仕掛けたというわけだ。芸能人も暗記力という点ではそうおバカではないだろうけれども、コロッと騙されることは往々にしてある。正義感を持つ人ほどその傾向は強いかもしれない。でも、法案に反対しているのは福島瑞穂所属の立憲とか国民とか共産とかだぜ。いかにもお里が知れる連中ばかりで、しかもこの報道をいち早く最初に垂れ流したのが朝日新聞。捏造記事の総合デパートである。もう工作以外の何物でもないのは自明の理ではないか。法案提出の時期が「なんで今?」という疑問はあるかもしれないけれども、政府としては「その程度の改正」という認識だったのではないか。自民党議員の中にもクソみたいな連中は少なくないが(2Fとか、知らんけど)、それ以上に正義面をかましている連中ほどタチが悪く始末に負えないものはない(お隣の大統領とかも、知らんけど)。人の気持ちを逆撫でする意見ばかりを発信するホリエモンであるが、この件ではバッサリ切り捨てていて、ちょっと清々しい。

コロナ感染が蔓延する中、悪意あるウソや悪意無き差別も社会に蔓延しているような気がする。

沼津駅のホームから

清水と東京を行き来する場合、新幹線は使わずに専ら在来線を使っていましたので、沼津で乗り換えというケースがままありました。沼津駅のホームに降り立つとすぐ隣に沼津機関区があり、そこに憩う機関車の姿についカメラを向けてしまうのでした。

サクラカラーⅡ、黄変してます。

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EF65 69

 

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69号機とは、塗装が違うだけで雰囲気がガラリと変わります。

 

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EF65 502・EF58 14

両者ともかつてのブルトレ牽引機。

 

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クモハ12001・EF65 504

クモハ12001は旅客営業用ではなく、大船工場への車両入出場時の牽引用として使われていたそうです。

 

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DE11 38

入換用機関車。国鉄機関車で、最初から入換用に特化した機関車はB20とDD11とDE11くらいなものでしょうか。JR貨物の入換専用機HD300は本線を自走することはできませんが、国鉄の機関車は自走可能でした。

 

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DE10 18

一方、DE10は客貨両用の機関車です。除雪用機関車はDE15ですが、どうして連番でDE12とならなかったのかが疑問です。

 

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EF58 160

下り荷物列車が到着しました。車掌が乗務する荷物車には電気暖房を装備していない車両もあるので、SGを搭載している機関車が必要とされ、EF58が重宝されました。

 

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マニ50 2023

全国どこにでも見られたマニ50。北海道では50系51形客車に併結されている列車もありました。

 

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スニ40 24

貨車のようなスニ40。窓がないので乗車したいとは思いません。乗務員付はスニ41形式。北海道では同じような形態のマニ44しか見たことがありません。マニ44は車体が青色なので、ちょっとは荷物車っぽいかな。

 

この後、東京ではなく根府川へ向かったのでした。

 

昭和56(1981)年10月4日

不幸せの黄色い写真

ガッカリもガッカリな、黄色く染まった写真の数々。フジカラーⅡは黄変色に耐えたのに、フジカラー400はアカンです。高感度の割には粒状性が良かっただけに残念。

 

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07:50 清水駅 上り貨物列車 EF60 110

入社4か月目にして、清水の工場へ配属されることとなり、8月1日、横浜での研修を終えて清水へ引っ越したのですが、まだ住民票を移していませんでした。札幌へ帰省する日ですが、まずは横浜から清水へ住民票を移すため、横浜へ向かいました。勿論、各停で。

 

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07:53 清水駅 富士川1号

清水駅には跨線橋と地下道がありますが、跨線橋を渡った記憶はあまりありません。地下道の方が高低差は小さいですからね。

 

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沼津機関区 クエ28002(救援車)

お空が黄色く見えるのは、何か悪い物でも拾って食ったか。「食え」って書いてるし。

 

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熱海駅 伊豆7号

 

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熱海駅 下り貨物列車 EF65 103

 

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熱海駅 伊豆急行

 

横浜の区役所で転出の手続きを済ますと清水へ戻ります。駅前からタクシーで市役所へ向かい、転入届を提出、ついでに印鑑登録も済ましておきます。何に使うか知らんけど。

さて、ようやく帰省です。東京へ向かいます。

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清水駅 下り貨物列車 EF65 6

 

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清水駅 サロ163-1

何もかもが黄色く染まった思い出の写真。163系唯一の形式。

 

あっという間に上野駅。すでにとっぷり日は暮れて、夜行列車が続々と上野駅を出発する時間帯です。

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上2枚とも上野駅 何の列車かは不明。

不思議と夜の撮影分に黄変は目立ちません。どうやら、明るい箇所ほど黄変色が著しいようです。

 

予定していた「八甲田59号」はすでに空席が見当たらず乗車を断念し見送りました。しかしその後の「八甲田61号」ではどうにか座ることができ、12系の乗客となって青森へ。

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青森駅 八甲田61号か?

ん?前パンタ?これから機回しをするところなのでしょうか。

 

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青森駅 ゆうづる13号

寝台特急列車で帰省するようになるのはまだ先の事です。

 

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青森駅 はつかり8号

何度も降り立った青森駅なのに、あまり写真を撮っていないのが悔やまれます。乗り換えに心を奪われて、心に余裕がなかったのかもしれません。

 

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青森駅 DE10 1122

連絡通路の先に連絡船が見えます。繁忙期になるとこの通路はにわかに運動会会場と化し、人々は何とか列車に座席を確保しようと我先にとばかりに必死こいて走っておりました。荷物を担いでですから、もう障害物競走のようなもので、その荷物がぶつかるわ痛いわでもう大変。幼子たちはここで人生の荒波を経験していました。

黄色く染まった写真。もうあの鮮やかな色合いは戻りません。orz

 

昭和56(1981)年8月13日、14日

301系を見に中央線へ

夏の四日間の連休(夏休み第一弾)の三日目、友人と会う約束が突然にボツとなってしまいやることがなくなり、さてどうしたものかと考えていたら、急に301系を見たくなりました。そこで中央本線へ出てみることにしました。

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11:15 横浜駅 894M

運良く、185系にあたりました。これだけで何か幸せになれちゃう。

 

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東京駅 伊豆7号

185系による急行「伊豆」もそう長くはありません。この年の10月には特急列車へ昇格します。0系との並びも今や遠い過去。

 

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東京駅 伊豆7号・ごてんば2号

急行電車といえば153系と165系。153系は房総地区で、東海道では主に165系が気を吐いていました。臨時列車には修学旅行用だった155系や167系も活躍していました。

 

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さくら
ブルートレインしんがりを務めた「さくら」。トップの「紀伊・出雲2号」の到着から5時間後ですが、その間に「出雲4号」「瀬戸」「あさかぜ2号」「銀河」「あさかぜ4号」「富士」「はやぶさ」「みずほ」が続々と東京駅に到着していました。今からすれば夢物語のようです。

せっかくなので中央本線にはすぐには向かわず、上野駅に寄り道しました。

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上野駅18番ホーム あいづ

手作業で運転窓を清掃。車両基地へ立ち寄る時間を少しでも減らして効率よく運用するためだったのかと。

上野方の先頭車は少数派のクロ481-5。この頃、東北特急では「あいづ」だけで運用されていました。サロ481から先頭車化改造された50番代もありました。

 

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上野駅19番ホーム 12:36発の223列車、仙台行きです。終点の仙台着は21:32。おそらく名物列車だったのではないかと思います。

 

12:40 16番ホームに山形からの「やまばと2号」が到着。折り返しは13:30発の秋田行き「つばさ5号」。そこで幕回しです。上野駅に寄り道したのはこれが理由だったのかも。

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上野駅で見る「白鳥」はなかなか乙なものです。過去にはキハ82系の「白鳥」が上野駅から出発していましたから、全くの無縁ではありません。とはいえ、上野から出ていたのは大阪行きであり、青森へは行ってませんでした。

 

さて、ここからが本番で、まずは阿佐ヶ谷駅で下車。

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営団東西線から直通する緩行線を走る帝都高速度交通営団5000系。私鉄音痴なので車両の解説はできません。


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複々線なので、なかなかにぎやかです。103系とすれ違う荷物車クモニ83はクモユニ74などと同様、旧型国電からの改造車。

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国鉄の駅に国鉄ではない車両が停車中。このカオスぶりが大都会の鉄道風景。

何でか高円寺駅に移動しています。東京ミニ周遊券を使っているので、ちょっとでも電車に乗っておこうという算段だったかどうかは定かでありません。

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101系が健在です。緩行線から総武本線に入ります。南武線鶴見線で見かけるのと違い、往時を偲ぶ長編成です。などと書きつつも、当時は101系と103系の区別すらつきませんでしたよ。

 

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かつては20系ブルトレの先頭に立っていたEF60形式500番代の最終番機。登場時は20系に合わせた特急色でしたが、運用を終えて一般色に塗り直されてしまいました。EF65形式500番代が特急色のままだったのとは対照的。

 

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301系か・・・と思ったら地下鉄仕様の103系1200番代でした。おでこに前部標識灯があるのが103系。「JNR」マークは、営団東西線に乗り入れるので、識別するための措置。

 

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営団5000系にはしっかり営団のマークが入っています。

 

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ここでようやく301系とご対面。301系にも「JNR」マークが。特急用の先頭車以外で「JNR」マークが入っているのは、他社線乗り入れ用の103系1000番代、1200番代、1500番代と301系、それと国鉄コンテナだけ(笑)。

 

更に中野駅へ移動しました。

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阿佐ヶ谷駅で見かけたクモニ83よりも屋根が低い800番代。

 

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新宿発の「あずさ」が通過。「あずさ」は新製の181系で運転を開始し、後に183系と189系に置き換わりました。

 

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103系1200番代は営団東西線経由で西船橋へ、奥の101系は総武本線経由で千葉へ。

 

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301系営団東西線経由で西船橋へ向けて行きました。

 

やはり通勤電車では気持ちの盛り上がりに欠けるのか、たいして枚数を撮らぬうちに撤収しました。

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東京へ移動する車中で。「あずさ」を撮ったんです。あくまでも。

そして東京駅。ブルトレラッシュ時間帯です。

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あさかぜ1号

 

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あさかぜ3号

 

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瀬戸

暗かったので流し撮りばかりとなりました。品川からの回送列車は機回し線に到着し、駅の外れで機回しを行い、それから所定のホームに入線していたということだったかな。もうすっかり記憶の片鱗もありません。

 

昭和56(1981)年7月27日

千葉駅で4特急制覇(再掲)

過去記事で紹介したものですが、画像を増量してアップし直します。

房総特急を撮りたかったので、核心の駅となる千葉駅のホームで一気に釣りました。東京駅でも撮れるのですが、地下駅なので撮り辛いです。

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こんな感じになってしまう。悪くはないけど、やっぱりお天道様の下で撮りたい。

で、千葉駅です。まあ、所詮は駅撮りと言ってしまえばそうなのですが。

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サロ183-11

 

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廣田尚敬さんを意識したのかな。ヘッドマークがちゃんと固定されておらず、斜めっています。

 

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「さざなみ」

内房線特急で東京~館山・千倉の運転。

 

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「あやめ」

成田線特急で東京~鹿島神宮の運転

 

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わかしお

外房線特急で東京~安房鴨川の運転

 

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しおさい

総武線特急で東京~銚子の運転

 

以上の4列車は東京~千葉間は共通し、千葉から四方面に分かれます。

昭和47(1972)年にL特急として「さざなみ」「わかしお」がデビューし、昭和50(1975)年に「しおさい」と「あやめ」が登場しました。「あやめ」は当時、運転距離最短となる113.1kmという特急列車でしたが、房総特急全般が特急列車としては短距離ランナーで、一番長い「さざなみ」でも139.6km(東京~千倉)でした。札幌~旭川間の「いしかり」や「ライラック」とあまり変わりません。

4列車とも共通運用で、L特急らしく9両中5両が自由席です。短距離運転のため食堂車はありません。それにしても「さざなみ」「わかしお」「しおさい」は、イメージもイラストも似ていて、とてもややこしい。

 

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トップナンバーをゲット。

登場時の183系は181系の後継にも思えますが、運用は東京地下駅に乗り入れる短距離列車であるため、前述したように食堂車はなく、保安上A-A基準で製造され、貫通扉は非常時の脱出用に使用されます。また乗降時間短縮のために、グリーン車以外の普通車は2扉となっています。そんな安物特急のイメージが付きまとうものの、普通車に初めて簡易ながらもリクライニングシートが採用されました。

一方で、将来的な長距離運用も考慮しており、パンタグラフ取り付け部は低屋根とし、また前部標識灯は屋根上にはなく、断面の小さなトンネルの通過を可能にしていますし、横軽対策も施工済です。後に登場する1000番代は明白な181系の後継として耐寒耐雪構造とし、「あずさ」「あまぎ」「とき」などの運用に就きます。地下乗り入れを考慮せず、貫通扉は廃止され、また前部羽根模様の塗り分けが変更されました。

 

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千葉駅は貨物列車も通過します。旋回窓ではないワイパーの運転室窓は、何だかあっさりしたやさしい印象です。でも窓上の無線機は無骨。

 

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郵便荷物電車であるクモユニ74も走ります。東海道線のとは異なり、こちらは中京地区からやってきた小目玉の100番代。

 

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初期車の大目玉、非冷房車113系は東京駅には乗り入れせず、千葉より先での運用です。総武快速線と同じスカ色ながらも、大目玉であるだけで印象は随分と異なるものです。

たった一度だけの訪問となってしまった千葉駅ですが、もっと駅舎だとか駅の情景だとかも撮っておけばよかったなと、いつもの後悔。

昭和56(1981)年7月11日

またまた上野駅

気軽に手軽に色々な列車が見られるので、またまた上野駅へ行きました。

しかし、後日まとめた撮影メモに食い違いがあって、何が何だか分からなくなってしまいました。

早朝、上野駅に到着して、まずモノクロフィルムで寝台特急列車や夜行急行列車の到着を次々と撮影し、その後にカラーネガに入れ替えて撮影を続けたと思っていたのですが、カラーネガのフィルムの割と初めの方に「みちのく」が登場します。

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19番ホームに停車中の「ひたち」。隣では新幹線の工事が始まっています。

 

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13:55 18番ホームには青森からの「みちのく」が到着。修学旅行生らしき団体がにぎにぎと。下り列車は隣の17番ホームから14:48の発車です。

いきなり昼下がりです。この日はこの後、少々乗り鉄した後に東京駅へ行き、朝のブルトレ到着を撮影しています。だから、この撮影辺りは当初考えていたのとは別の日ということに気づきました。39年経って初めて気づいた真実。

 

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それはまあともかく、早朝には17番、18番ホームに「あけぼの」同士が並んでいました。

 

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15番ホームは14:30発の「ひばり17号」、16番ホームは15:00発「ひばり19号」かと。1500番代と300番代の並び。

以上、撮影日不明です。

 

そしてここから先が、本日の画像になります。 

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高架7番ホームは07:00発の「ひたち1号」。6番ホームは06:46発の「そよかぜ1号」。「そよかぜ」は中軽井沢行きの季節特急列車で全席指定。

7番ホームから発車する「ひたち」はこの「1号」だけです。こういう列車は特定しやすくてありがたいです。

 

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06:30に17番ホームに到着した「あけぼの4号」が尾久へ向けて引き上げます。ヘッドマークがないので、どうにもブルトレの貫禄に欠けます。

 

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07:04発「日光1号・わたらせ1号」は16番ホームに停車中。車両は169系試作編成です。元165系試作編成でしたが、169系に形式変更。クモハ165、クハ165、モハ164を碓氷峠対応とした900番代は各形式4両ずつ製造され、量産車が169系となったのに合わせて169系となりました。

 

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1000番代トップ。番号撮り。列車は不明。

 

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クハ189-1と、こちらもトップナンバー。

6番ホームの07:16発、長野行き「あさま1号」

 

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07:19発 秋田行き「いなほ1号」は8番ホーム。朝もはよから、特急列車たちが発車待ちです。

 

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583系485系。昼夜の雄同士が轡を並べます。

15番ホームは07:33発、青森行き「はつかり1号」、

16番ホームは08:00発、仙台行き「ひばり3号」。

 

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07:24着の「十和田4号」、20系寝台急行列車です。すでに寝台特急列車は全て14系化・24系化されておりました。

 

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401系と115系。電気方式が異なる形式同士の並びですが、どちらも近郊形です。115系よりも401系の方が先輩です。

 401系は07:52発の勝田行き、115系は07:43発の小金井行きか。

 

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低運転台ですが、小目玉のクハ401-20。

 

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07:48 115系と入れ替わるように秋田行きの「つばさ1号」が入線。

 

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 羽根の赤色が変ですが、このフィルムも黄変化しているためです。ただ全体的

うっすら均等なので、あまり見苦しくはありません。

6番ホーム、08:19発、金沢行き「はくたか1号」。

貫通扉は知恵の産物ですが、結局、国鉄時代には活用されませんでした。

 

この後、ちょっとふらふらしてから東京駅に到着。ちょうど、ブルトレの到着ラッシュの時間帯でした。

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東海道線サハ111-2001。2000番代トップに気を取られてついシャッターを切ってしまいました。

 

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09:36着の急行「銀河」でしょうか。どこにピントを合わせているんだか。

 

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09:30に10番ホームに到着した後、機回しを終える所の「あさかぜ4号」の回送列車。

 

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9番ホーム、10:10着

 

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機回し

 

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10番ホーム、10:30着

 

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屋根の深い食堂車。当然、天井も高いです。

 

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機回し。

 

いやはや。列車の特定に時間がかかってしまいました。


昭和57(1982)年7月4日

上野駅

上野駅と云えば北の玄関口、とはよく言われていましたが、実際には東北方面の他に日本海方面、そして信州方面と、本州の北半分へ広く昼夜を問わず列車で結んでいました。それが今や東北・秋田・山形新幹線上越新幹線北陸新幹線が取って代わり、長距離運用は在来線から姿を消してしまいました。それだけに、在来線特急が分刻みで上野駅に発着していた頃が夢物語のように思えてしまいます。

この日は夕方から用事があり、それまでの間にちょこっとだけ上野駅で特急列車をスナップしました。全くメモを取っていないので、不明確だらけです。

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高架ホームで発車待ちは183系1000番代の「とき」。181系「とき」ばかりが注目され、183系「とき」はイマイチ人気がありませんでした。

お隣には上野終着の客車列車が。グリーン帯を巻いたスロ62とオハ46のトップナンバーが気を惹きます。

 

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14:00頃

行き止まりホームへ降りると「みちのく」と「ひたち」の姿が。常磐線特急同士です。「みちのく」は東北線回りの「はつかり」に比べるとわずか1往復のみの運転で、とても地味な存在でした。

高架ホームに戻ります。

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上越奥羽線回りの秋田行き「いなほ」。スピード感に欠ける愛称名ですが、日本らしくて好きです。

 

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信越線回りの金沢行き「白山」は489系。485系碓氷峠対応形式になります。

 

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新潟行き「とき」。

憧れだった151系「こだま」の血統を受け継ぐ181系。元祖特急色。

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屋根の高さが歴然と異なるサロ180形式1100番代(奥)とサロ180-1001(手前)。サロ180形式1100番代は新造車で、「とき」運用終了後に485系化されることを前提に製造されたので、車体断面が181系とは異なります。車体断面だけでなく、冷房装置もキノコ形ではありません。後に改造されてサロ481形式1500番代となり、北海道向けだった1500番代に割り込み、ちょっと話をややこしくします。

 

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サロ180形式1000番代唯一の1001号は、サロ180-101からの改造車。

 

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元モロ180-102のモハ180-202。モハ180形式200番代は、モロ180形式100番代を格下げしたもので、シートピッチが窓割と一致していません。ペアを組むモハ181形式200番代は元モロ181形式100番代です。

181系電車は元151系、元161系、そしてオリジナルの181系からなり、また改造車も多数あって、なかなかの複雑怪奇臭を漂わせています。

 

またまた行き止まりホームへ降ります。

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山形行きの「やまばと」。

 

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共に青森行きながらも、常磐線回りの「みちのく」(14:48発)と東北線回りの「はつかり11号」(15:30発)が顔を並べます。

またまた高架ホームへ上がります。

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この頃は、東北線、高崎・上越線で客車を牽引するEF58の姿をよく見かけました。残念ながらEF56やEF57に会うことはできませんでしたが、スタイリッシュなEF58は魅力的でした。

 

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車番に惹かれて、つい。

 

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常磐線成田線103系通勤電車。ラインカラ―はモスグリーン。

 

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長野行きの「あさま」。

 

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189系181系189系は183系1000番代の碓氷峠対応形式。かつては「あさま」も181系で運転されていましたが、EF63との協調運転ができなかったため最大8両までしか編成が組めず、老朽化に伴い、輸送力増強のために189系に置き換えられました。

 

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「白山」とは異なり、上越線経由で金沢とを結ぶ「はくたか」は485系。ボンネット車のクハ481が運用に就くと、「とき」とのボンネット車同士の並びを見ることができました。

 

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高架ホーム発着の「ひたち」。因みにこの「ひたち」というのは「日立」ではなく「常陸」です。多くがボンネット車による編成で、ファンには人気がありました。

またまた行き止まりホームへ。あ~、忙しいけど楽しいなっと。

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盛岡とを結ぶ「やまびこ」。ヘッドマークのイラスト化はとても難しかったと思います。先頭車は懐かしのクハ481形式1500番代。厳しい北海道での黒歴史を残しながらも、東北・北陸路では快調に走っていたようです。後に一部の車両が改造されて青函トンネルを潜り、北海道に再来するようになりますが、残念ながらその姿を拝むことはできませんでした。

 

昭和56(1981)年6月20日 上野駅