ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

301系を見に中央線へ

夏の四日間の連休(夏休み第一弾)の三日目、友人と会う約束が突然にボツとなってしまいやることがなくなり、さてどうしたものかと考えていたら、急に301系を見たくなりました。そこで中央本線へ出てみることにしました。

f:id:railway-photo:20200510073225j:plain

11:15 横浜駅 894M

運良く、185系にあたりました。これだけで何か幸せになれちゃう。

 

f:id:railway-photo:20200510073309j:plain

f:id:railway-photo:20200510073413j:plain

東京駅 伊豆7号

185系による急行「伊豆」もそう長くはありません。この年の10月には特急列車へ昇格します。0系との並びも今や遠い過去。

 

f:id:railway-photo:20200510073339j:plain

東京駅 伊豆7号・ごてんば2号

急行電車といえば153系と165系。153系は房総地区で、東海道では主に165系が気を吐いていました。臨時列車には修学旅行用だった155系や167系も活躍していました。

 

f:id:railway-photo:20200510073444j:plain

f:id:railway-photo:20200510073456j:plain

さくら
ブルートレインしんがりを務めた「さくら」。トップの「紀伊・出雲2号」の到着から5時間後ですが、その間に「出雲4号」「瀬戸」「あさかぜ2号」「銀河」「あさかぜ4号」「富士」「はやぶさ」「みずほ」が続々と東京駅に到着していました。今からすれば夢物語のようです。

せっかくなので中央本線にはすぐには向かわず、上野駅に寄り道しました。

f:id:railway-photo:20200510073523j:plain

f:id:railway-photo:20200510073535j:plain

f:id:railway-photo:20200510073700j:plain

上野駅18番ホーム あいづ

手作業で運転窓を清掃。車両基地へ立ち寄る時間を少しでも減らして効率よく運用するためだったのかと。

上野方の先頭車は少数派のクロ481-5。この頃、東北特急では「あいづ」だけで運用されていました。サロ481から先頭車化改造された50番代もありました。

 

f:id:railway-photo:20200510073557j:plain

上野駅19番ホーム 12:36発の223列車、仙台行きです。終点の仙台着は21:32。おそらく名物列車だったのではないかと思います。

 

12:40 16番ホームに山形からの「やまばと2号」が到着。折り返しは13:30発の秋田行き「つばさ5号」。そこで幕回しです。上野駅に寄り道したのはこれが理由だったのかも。

f:id:railway-photo:20200510073734j:plain

f:id:railway-photo:20200510073748j:plain

f:id:railway-photo:20200510073759j:plain

f:id:railway-photo:20200510073811j:plain

f:id:railway-photo:20200510073823j:plain

上野駅で見る「白鳥」はなかなか乙なものです。過去にはキハ82系の「白鳥」が上野駅から出発していましたから、全くの無縁ではありません。とはいえ、上野から出ていたのは大阪行きであり、青森へは行ってませんでした。

 

さて、ここからが本番で、まずは阿佐ヶ谷駅で下車。

f:id:railway-photo:20200510073840j:plain

営団東西線から直通する緩行線を走る帝都高速度交通営団5000系。私鉄音痴なので車両の解説はできません。


f:id:railway-photo:20200510073922j:plain

f:id:railway-photo:20200510073937j:plain

複々線なので、なかなかにぎやかです。103系とすれ違う荷物車クモニ83はクモユニ74などと同様、旧型国電からの改造車。

f:id:railway-photo:20200510094118j:plain

国鉄の駅に国鉄ではない車両が停車中。このカオスぶりが大都会の鉄道風景。

何でか高円寺駅に移動しています。東京ミニ周遊券を使っているので、ちょっとでも電車に乗っておこうという算段だったかどうかは定かでありません。

f:id:railway-photo:20200510074002j:plain

101系が健在です。緩行線から総武本線に入ります。南武線鶴見線で見かけるのと違い、往時を偲ぶ長編成です。などと書きつつも、当時は101系と103系の区別すらつきませんでしたよ。

 

f:id:railway-photo:20200510074014j:plain

かつては20系ブルトレの先頭に立っていたEF60形式500番代の最終番機。登場時は20系に合わせた特急色でしたが、運用を終えて一般色に塗り直されてしまいました。EF65形式500番代が特急色のままだったのとは対照的。

 

f:id:railway-photo:20200510074046j:plain

301系か・・・と思ったら地下鉄仕様の103系1200番代でした。おでこに前部標識灯があるのが103系。「JNR」マークは、営団東西線に乗り入れるので、識別するための措置。

 

f:id:railway-photo:20200510074313j:plain

営団5000系にはしっかり営団のマークが入っています。

 

f:id:railway-photo:20200510074331j:plain

f:id:railway-photo:20200510074408j:plain

ここでようやく301系とご対面。301系にも「JNR」マークが。特急用の先頭車以外で「JNR」マークが入っているのは、他社線乗り入れ用の103系1000番代、1200番代、1500番代と301系、それと国鉄コンテナだけ(笑)。

 

更に中野駅へ移動しました。

f:id:railway-photo:20200510075251j:plain

阿佐ヶ谷駅で見かけたクモニ83よりも屋根が低い800番代。

 

f:id:railway-photo:20200510075342j:plain

f:id:railway-photo:20200510075356j:plain

新宿発の「あずさ」が通過。「あずさ」は新製の181系で運転を開始し、後に183系と189系に置き換わりました。

 

f:id:railway-photo:20200510075430j:plain

f:id:railway-photo:20200510075447j:plain

103系1200番代は営団東西線経由で西船橋へ、奥の101系は総武本線経由で千葉へ。

 

f:id:railway-photo:20200510075510j:plain

f:id:railway-photo:20200510075535j:plain

301系営団東西線経由で西船橋へ向けて行きました。

 

やはり通勤電車では気持ちの盛り上がりに欠けるのか、たいして枚数を撮らぬうちに撤収しました。

f:id:railway-photo:20200510075610j:plain

東京へ移動する車中で。「あずさ」を撮ったんです。あくまでも。

そして東京駅。ブルトレラッシュ時間帯です。

f:id:railway-photo:20200510075729j:plain

f:id:railway-photo:20200510075748j:plain

f:id:railway-photo:20200510075805j:plain

あさかぜ1号

 

f:id:railway-photo:20200510075821j:plain

f:id:railway-photo:20200510075838j:plain

あさかぜ3号

 

f:id:railway-photo:20200510075857j:plain

f:id:railway-photo:20200510075912j:plain

瀬戸

暗かったので流し撮りばかりとなりました。品川からの回送列車は機回し線に到着し、駅の外れで機回しを行い、それから所定のホームに入線していたということだったかな。もうすっかり記憶の片鱗もありません。

 

昭和56(1981)年7月27日