ガッカリもガッカリな、黄色く染まった写真の数々。フジカラーⅡは黄変色に耐えたのに、フジカラー400はアカンです。高感度の割には粒状性が良かっただけに残念。
07:50 清水駅 上り貨物列車 EF60 110
入社4か月目にして、清水の工場へ配属されることとなり、8月1日、横浜での研修を終えて清水へ引っ越したのですが、まだ住民票を移していませんでした。札幌へ帰省する日ですが、まずは横浜から清水へ住民票を移すため、横浜へ向かいました。勿論、各停で。
清水駅には跨線橋と地下道がありますが、跨線橋を渡った記憶はあまりありません。地下道の方が高低差は小さいですからね。
沼津機関区 クエ28002(救援車)
お空が黄色く見えるのは、何か悪い物でも拾って食ったか。「食え」って書いてるし。
熱海駅 伊豆7号
横浜の区役所で転出の手続きを済ますと清水へ戻ります。駅前からタクシーで市役所へ向かい、転入届を提出、ついでに印鑑登録も済ましておきます。何に使うか知らんけど。
さて、ようやく帰省です。東京へ向かいます。
清水駅 サロ163-1
何もかもが黄色く染まった思い出の写真。163系唯一の形式。
あっという間に上野駅。すでにとっぷり日は暮れて、夜行列車が続々と上野駅を出発する時間帯です。
上2枚とも上野駅 何の列車かは不明。
不思議と夜の撮影分に黄変は目立ちません。どうやら、明るい箇所ほど黄変色が著しいようです。
予定していた「八甲田59号」はすでに空席が見当たらず乗車を断念し見送りました。しかしその後の「八甲田61号」ではどうにか座ることができ、12系の乗客となって青森へ。
青森駅 八甲田61号か?
ん?前パンタ?これから機回しをするところなのでしょうか。
寝台特急列車で帰省するようになるのはまだ先の事です。
何度も降り立った青森駅なのに、あまり写真を撮っていないのが悔やまれます。乗り換えに心を奪われて、心に余裕がなかったのかもしれません。
青森駅 DE10 1122
連絡通路の先に連絡船が見えます。繁忙期になるとこの通路はにわかに運動会会場と化し、人々は何とか列車に座席を確保しようと我先にとばかりに必死こいて走っておりました。荷物を担いでですから、もう障害物競走のようなもので、その荷物がぶつかるわ痛いわでもう大変。幼子たちはここで人生の荒波を経験していました。
黄色く染まった写真。もうあの鮮やかな色合いは戻りません。orz
昭和56(1981)年8月13日、14日