ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

早朝の札幌駅で車両撮影

「まりも」に乗車して札幌駅に到着した時の画像です。

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06:15着 大雪6号

2番ホームに停車しています。その隣の3番ホームに「まりも4号」が到着しました。

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06:25着 まりも4号

14系客車はどうでもいいと思い、10系寝台車だけ撮影します。

 

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寝台車が5両連なります。

 

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5号車 オロネ10 502

↓廃車後は道東の津別町に保存されているようです。

客車廃車体訪問記 北海道編26 | DRFC-OB デジタル青信号

 

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4号車 スハネ16 505(←オハネ17 505←オロ40 2008)

オハネ17は冷房化により重量増となったためスハネ16に形式変更されました。

そのオハネ17は、スハ32系の実に22もの形式から台枠・台車を転用し、10系軽量車体を載せた車両です。観光用の2600番代を除く電気暖房搭載車(2000番代)は古いTR23の台車を履いていましたが(重量増を抑えるため)、非電気暖房車や北海道向けはもう少し上等のTR47です。しかし電気暖房車も冷房化に伴い形式を改めた際に全てTR47に履き替えました。

 

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3号車 スハネ16 510(←オハネ17 510←スロハ32 34)

これも上記のキャンプ場に保存されている模様。

 

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2号車 オハネ12 507(←オハネ12 39←ナハネ11 39)

ナハネ11は冷房化により重量増となってオハネ12となりました。

 

 

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1号車 オハネフ12 512(←オハネフ12 30←ナハネフ10 87)

ナハネ11の前に登場していたナハネ10は、ナハネ11の出現により全てナハネフ10に改造されましたが(北海道向けの504、506、510だけはナハネ10から一気にオハネフ12に改形式)、ナハネフ10の冷房改造車はオハネフ11とはならず、ナハネ11の冷房改造車であるオハネ12と形式番号を合わせる格好となりました。

オハネフ12の501号から510号まではナハネ10まはたナハネフ10からからの改造ですが、511号から514号までは一般仕様のオハネフ12からの改造です。あ~ややこしい。

 

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荷物車 マニ36 2008(←オハ53 36←オロ35 36←スロ30885)

オロ35は旧形式スロ30850で、スハ32系の2等車。スハ32系にあっては丸屋根で登場した後期のグループになります。対応する二重屋根車はスロ32←スロ30800になります。オロ35を格下げしたのがオハ53。もう自分で何を書いているのか分からなくなってきました。

 

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郵便車 オユ10 2557(←オユ10 2007←オユ10 7)

北海道向けのオユ10の前身には、もともと北海道向けだった2500番代(2501~2514)と、一般仕様からの改造車(2515~2517)の2種類がありました。これらは冷房化改造によって2521~2537に改番されましたが、これとは別に一般仕様車から北海道向け改造とともに冷房化改造を同時に行ったのが2550番代(2551~2583)でした。

冷房装置設置にあたり、10系客車特有の丸屋根を低くしています。

 

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DD51 527

全検上がりなのか、ピッカピカです。釧路の車でこんなに綺麗なのって、そうそう見らるものではありません。ラジエターカバーを外しているのも、釧路の車では珍しい方かも。札差しには半重連を示す「半」の札が差してあります。

因みにこの時期、釧路機関区にはDD51が50両も配置され、更にDD13(4両)、DD14(2両)、DD15(1両)、DD16(4両)、DE10(22両)、DE15(6両)といった各形式も合わせ、実に89両ものディーゼル機関車がひしめく、道内最大のDL基地でした。

 

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4番ホームには07:00発の「オホーツク1号」が入線してきました。

私は札沼線に乗って帰宅します。

 

昭和58(1983)年5月2日 札幌駅

GW帰省 青森駅・函館駅でのスナップ

上野駅から「ゆうづる7号」に乗車しました。今回は一人での帰省です。

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何の列車かは不明ですが、トップナンバーだったのでシャッターを切りました。

451~457、471~475系のグリーン車って、全然写真を撮っていないんですよね。何でかな~。上野駅ではいつも見られたのに。

 

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おそらく乗車したであろう「ゆうづる7号」23:00発。19番ホームからの発車ですが、間もなくこのホームは使用停止になるのでした。

 

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おそらく御堂~奥中山ではないかと。とうとう一度も訪れることのなかった有名撮影地です。D51三重連の咆哮が聞こえて来そうです。

 

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スエ31 180

八戸駅の八戸客貨車区でしょうか。救援車のスエ31 180はマユ35 2015からの改造とか。側面窓が郵便車らしい雰囲気を残しています。

 

青森駅到着。

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09:55発 白鳥4号・525列車か(八戸発 青森09:30着)

 

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10:16発 盛岡行き1042列車

1番ホームが「ゆうづる7号」だったか。

 

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10:33発 秋田行き630列車

荷物車を2両連結しました。

 

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09:55 白鳥4号の発車です。

 

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オハネフ24 1

こちらは10:00着の「ゆうづる9号」。

 

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おや、前パンタを上げています。

 

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ゆうづる7号」

 

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十和田丸の甲板から

 

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10:15出航の25便です。事務所内に時計が見えてよかった。函館駅かもしれないと思っていました。

 

14:05 函館到着です。

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ニセコ」かと思っていたら「すずらん」の愛称サボが。

14:08に到着した季節急行「すずらん2号」が、運転所に引き上げるところのようです。

 

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14:14 北斗4号到着

折り返し14:55発「北斗5号」となります。

 

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14:32発 ニセコ

こちらが正真正銘の急行「ニセコ」です。

 

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すずらん2号」の回送・「北斗5号」・「ニセコ

良い眺めです。赤系統の色には華やかさがあります。

「北斗5号」より23分早く発車した「ニセコ」は、「北斗5号」から27分遅れて札幌に到着します。つまり50分も余計に乗車できました。急がない旅なら良いことです。しかしこの時は前回の帰省に引き続き「北斗5号」に乗車しています。なんでかな?

 

昭和58(1983)年4月29~30日

二条駅で

出張先の現場へ向かう車中から、留置している廃車体が見えた二条駅。気になったので仕事を終えてから立ち寄ってみました。

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すんばらしい構えの二条駅駅舎。これを最初に撮っているということは、京都駅から歩いてきたのかな。でも今は高架化されて見る影もなし。京都は一体どこへ向かっているのでしょう。幸いにも駅舎は京都鉄道博物館に移設されて出口として使われている模様。形として残っているだけでも善しとしましょうか。

 

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581系でした。クハネ581は貫通扉が塞がれています。番号はメモしていませんが、貫通扉を塞がれたクハネ581は7号だけだったので7号で決定です。後にクハ715-3に改造されます。左側は貨物ホームだったのでしょうか。左側車両の妻面が煤けているのは何故?

 

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サハネ581-1はこの年末にクハ715-110へ改造されています。実はこの時点ではまだ廃車になっていません。

 

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モハネ580-10はモハ714-10に改造されました。

クハネ581、モハネ580、モハネ581、サハネ581の多くは近郊形の419系北陸本線向け)や715系(九州向け0番代、仙台地区向け1000番代)に改造されました。財政事情の厳しい国鉄が、余剰車両を有効に活用したい思いからの苦肉の策でしたが、利用客の評判は芳しいものではありませんでした。

 

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50系の下り列車が到着です。旧客の天下とばかり思っていましたが、50系の波はここへも確実に押し寄せています。奥に見えるタンク車。油槽所があったのでしょうか。現状とはまるで別世界です。

 

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58系気動車によるありふれた急行列車。キロ28の窓が改造されています。下降窓は錆びやすいということで。しかし見栄えは・・・。

 

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京都へ戻ります。ガッツリ旧客です。不良社員はこうして出張時にもしっかりと趣味を謳歌していたのであります。もうじきGWだし、いいじゃね。

 

昭和58(1983)年4月23日

車両撮影

京都駅や福知山駅で停車中の車両を撮りまくりました。

まずは京都駅。

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オハフ33 428

 

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オハフ33 178(←スハフ34897)

オハフ33形式は、324号まではスハフ34720形式として落成しました。

 

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オハフ33 395

 

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オハ46 2039(←オハ46 39)

1号から60号まではオハ46として落成し、その後番号は飛んで、374号以降はスハ43からの形式変更。

 

ここから福知山駅

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スエ71 17(←マニ74 69←オハ71 21←不明)

 

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マニ61 210(←マニ60 234←ナハ23826)

 

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オハ47 2022(←オハ47 22←スハ43 38)

 

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オハフ46 18(←オハ47 135←スハ43 7)

 

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オハ47 18(←スハ43 23)

 

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スハ42 76

 

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オハ46 12

 

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スハフ42 170

 

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スハフ42 2198(←スハフ42 198)

 

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オハ35 1110

 

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スハフ42 2235(←スハフ42 235)

 

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スハ42 68

 

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スハフ42 2152(←スハフ42 152)

 

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スハ42 86

 

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DE10 1080

 

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DD51 1110

 

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キハ47 167

 

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キハ47 7

 

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キハ47 3

 

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キハ47 1022

 

実はこれも出張の時に撮影したもの。工事現場からクレームが入り、すっ飛んで対応しました。工場から送ったはずの部材が届いていないというもので、工場には残っておらず、また輸送中に落下した痕跡も見当たらず、結局原因は分からず仕舞いで、翌日、早急に製作して送りましたよ。数十キロもある鋼板なので、そうそう紛失するような代物ではないのに、一体、どこに消えたのでしょう。

そんな心配をよそに、列車待ちの時間を有効に使ったホームでの撮影でした。

 

それにしてもネガフィルムの黄変が酷い。

 

昭和58(1983)年4月22日(京都)、23日(福知山)

岩見沢へ行ってみた

前日に用事を済ませて職場に戻る前に、なぜだか岩見沢へ行きました。何を目的にだったのかさっぱり覚えていません。

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札幌駅

何だか涙目みたいなシミができていますよ。北海道の車両は蒸気機関車の時代から汚いという評価があったようですが、それはいまだ健在といったところでしょうか。嬉しくないな~。

 

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8番ホームの普通列車。色がおかしくなっている分、余計古さを感じます。現在の札幌駅の1-2番ホームは、ほぼこの直上にあります。

 

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岩見沢

メモがないので何の列車かは分かりません。2両のキハ40は向きが逆です。逆でも何の問題もありません。前の車両は146号で、後にキハ400に改造されます。

この駅舎は平成12(2000)年に火災で焼失し、今はビルの様な駅舎に変わっています。

 

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陽の加減から上りの「おおとり」で、着発は14:24-25ということが、時刻表から分かりました。これしか撮影していないので、おそらくこの列車に乗って戻ったのでしょう。ミーは何しに岩見沢

 

昭和58(1983)年4月17日

小用で札幌へ

GWを半月後に控えていた4月の半ば、ちょっとした用事があったので札幌に帰省しました。土日だけの休みなので、流石に鉄道でというわけにはいかないので飛行機を使いました。

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千歳空港駅(現 南千歳駅)から乗車した列車から。おそらく島松駅でしょう。トップナンバーだったのでシャッターを切りましたが、フレームぎりぎりだったことしか印象に残っていません。

 

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石狩街道陸橋の下から、札幌駅のある西側を望みます。札幌駅を中心とした高架化工事に伴い、倉庫のあった場所は空き地になっています。ピンク色の国鉄物資部の建物も消え、画面中央には体育館や食堂が入る国鉄の建物が見えます。

 

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陸橋の下は、これでも札幌市の有料駐車場。料金所は右の方にあった模様。

 

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石狩街道から苗穂方は高架化工事がどんどん進んでいます。線路脇へは立入出来ないので、陸橋に上がる階段の途中からになります。

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かわいらしい貨物列車と気動車が苗穂方面へ併走してゆきました。5本並ぶ線路のうち、中央の3本が本線です。函館本線千歳線兼用です。気動車が走る線路は、普段は札幌へ向かう列車が走るのですが、それを逆走してます。

 

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西2丁目通りの踏切。踏切警手が健在。「おおぞら」の札幌駅到着です。「おおぞら」は3往復中、函館までの運転は1往復となっていました。

 

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跨線橋から金網越しに札幌駅を望みます。新しい札幌駅の1、2番ホームは、一番右端の8、9番ホーム直上になるため、新駅の暫定開業時には3~11番ホームでの運用でした。

1、2番ホーム開業に伴い、11番ホームは廃止となりましたが線路は残り、今でも下りの回送列車・試運転列車・試験列車・工事列車などに使われています。

 

昭和58(1983)年4月16日

高岡出張の折

前年の富山出張に続き、この時も同じ工事での出張。しかし今回は月曜~火曜日だし、打ち合わせではなく現地トラブルへの対応ということで、ついでの鉄は断念せざるを得なかった模様。この時の記憶は、鉄が絡んでいなかったこともあってか全く消失しており、写真を見てもさっぱり思い浮かびません。出張目的が分かっているのは、工事の写真があったからです。

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14:07 金沢駅

1983年8月の時刻表を見て、

14:07発「雷鳥20号」・13:57着「雷鳥11号」・14:04着「加越3号」

なのかなと思います。三者三様の485系が顔を並べているのが面白いと思ってシャッターを切ったことだけは何となく覚えています。でも場所の記憶は吹っ飛んでます。

 

工事現場は高岡なので、それを下見に行ったのでしょうか。富山地鉄万葉線を撮っていました。

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2枚とも能町口停留場のようです。ここが現場に一番近い停留所なので。今は背景の豊栄建設は駐車場に、奥に見える「共同石油」のガソリンスタンドは空き地になっているようです。ストリートビューはありがたい。

 

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高岡駅前の宿の窓からでしょうか。県道23号線だと思われます。左側突き当りが高岡駅かと。グーグルマップからの推測。

 

すっかり忘れていた記憶は戻りそうにありませんが、どこで撮った写真なのかは、ネットでググってそれなりに解明ができました。本当に便利でありがたい世の中になったものです。

 

昭和58(1983)年3月28日